【国際プロレス伝】アニマルを呑み助にした草津の「グレートな夜遊び」 (4ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Sportiva

 それでも、そんな流れで初めてビールを呑まされたときは、五臓六腑(ごぞうろっぷ)に沁みわたって、『こんなに旨いものがこの世にあったのか!』と思いましたよ。それから僕も『呑み助』になってしまって。草津さんのおかげなんです、酒が呑めるようになったのは」

 当時、国際プロレスの若手の間では、「大酒呑みのグレート草津の付け人はゴメンだ」と敬遠されていた。そこで、入門したてで右も左もわからぬ浜口にその役目を、先輩たちが押しつけたというわけだ。

「でも、僕はへっちゃらでしたね。なぜか草津さんとは気が合って。僕は若かったですけど、10代から実社会で荒波に揉まれる経験をしていましたから。

 前にも話しましたが、中学を出てから各地を放浪して、その期間は飯場(はんば)暮らし。下を見たらクルマがマッチ箱ぐらいにしか見えない高いところで、30cm幅の狭い板に乗って、35kgもあるドリルを使って作業したりしていました。落ちたら間違いなく死にますよ。そういう危険な仕事を転々としていました。

 周りにいる連中も荒くれ者ばっかり。そんななかに僕は一番若い16歳でいたんですから、知らず知らずのうちに度胸だってつきますよ。だから、プロレスラーだろうが何だろうが、少しも怖くなかったですね」

(つづく)
【連載】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

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