【国際プロレス伝】アニマルを呑み助にした
草津の「グレートな夜遊び」

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Sportiva

【第13回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

 鍛え上げられた肉体を武器に、国際プロレスの看板スターとして活躍したグレート草津。弟分のアニマル浜口は「スケールが違った」と当時を回想する。ただ、そのスケールの大きさはリングの上だけではなかった。夜の街での人並み外れたグレート草津のエピソードを振り返る。

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ラッシャー木村(右)とともにパンフレットの表紙を飾るグレート草津(左)ラッシャー木村(右)とともにパンフレットの表紙を飾るグレート草津(左)「国際プロレス四天王」のひとり・グレート草津(2)

 TBSと放送契約を締結した国際プロレスは、団体名を「TBSプロレス」と改称した。番組名は『TWWAプロレス中継』。1968年1月3日、東京・日大講堂で開幕した「オープニング・ワールド・シリーズ」が記念すべき第1回放送となり、メインイベントはグレート草津vs."鉄人"ルー・テーズが飾った。

「20世紀最高のレスラー」と称されていたテーズを新設されたTWWA世界ヘビー級の初代チャンピオンに認定し、テレビ局側の意向により、まだ新人だった草津を新エ―ス候補として抜擢。いきなり鉄人に挑戦させたというわけだ。ところが、草津はテーズのバックドロップを食らい、失神KO負けを喫す。

 5日後の1月8日、草津は鹿児島県体育館でテーズと再戦するが、またしても敗退。草津はその後もなぜか運にも恵まれず、ビッグタイトルを手にすることはなかった。それでも、技巧派としてビル・ロビンソンと真っ向勝負を繰り広げたかと思えば、数々のインディアン・ストラップ・デスマッチ(※)を制するなどラフファイトにも強く、テクニック、パワー、スピードの三拍子そろったレスラーとして活躍した。

※インディアン・ストラップ・デスマッチ=対戦する両者の手首を皮紐でつないで試合を行なう形式。

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