【国際プロレス伝】短パンの太ももパンパン、
グレート草津の付け人に
【第12回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
ラグビー日本代表からプロレスラーへ華麗なる転身――。ストロング小林、サンダー杉山、ラッシャー木村とともに「国際プロレス四天王」として一時代を築く一方、団体の旗揚げから活動停止、解散まで現場責任者として吉原功(よしはら・いさお)社長を支え続けてきたグレート草津とはどのような人物だったのか。古きよき時代を伝える豪快なエピソード満載で、九州男児の強さ、優しさを弟分・アニマル浜口が語る。
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サンダー杉山(左)と腕相撲をするグレート草津(右)
「国際プロレス四天王」のひとり・グレート草津(1)
「ドアを開けた瞬間、僕の目に飛び込んできたんです。一番奥の席に座っていました。ピタッとした短パンを履いていて、太ももがパンパンに張っていましてね。上半身はTシャツを着ていましたが、はち切れんばかりでした。髪はショートカット。言葉が出ませんでした。見とれてしまいました。
僕もボディビルをやっていて、鍛え上げられた肉体美というのは見慣れていたはずなんですけど、すべてがケタ違いでした。圧倒されて、感動して......。これがプロレスラーかと思いましたよ。スター性があふれていました。それが、グレート草津さんだったんです」
国際プロレスの吉原功社長から直々に入門を許され、紹介してくれたナニワトレーニングセンターの荻原稔会長に付き添われ、大阪から新幹線に乗って上京。東京・青山にあった国際プロレスの事務所へ挨拶に行き、道場へ入った瞬間のことを、アニマル浜口は今も鮮明に覚えている。
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