【国際プロレス伝】短パンの太ももパンパン、グレート草津の付け人に (2ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports/AFLO

「グレート草津」こと草津正武は熊本工業高校を卒業後、社会人ラグビーの八幡製鉄へと入社した。全国社会人大会や日本ラグビーフットボール協会招待NHK杯争奪ラグビー大会(日本選手権の前身)を制覇し、1960年から1964年にかけて黄金時代を築くと、日本代表のカナダ遠征メンバーにも選出され、1963年4月13日のブリティッシュ・コロンビア州代表戦に出場。日本代表キャップを獲得し、33-6で日本代表の海外遠征テストマッチ初勝利に貢献した。

 ポジションはロック。八幡製鉄時代の体格は189cm・93kg。現在、日本代表として活躍し、歴代最多キャップを誇る大野均(東芝ブレイブルーパス)の192cm・105kgと比べても見劣りせず、草津がプレーした昭和30年代後半においては、日本代表フォワードのなかでもずば抜けたスケールだった。

「僕は兵庫県のボディビル大会に出場するために身体を絞っていましたから、入門したときは84kgぐらいだったかな。入団後は食事を1日4~5回ぐらい食べて、また身体を大きくしていきました。『雪印チーズ』の塊(かたまり)をまるまる1個食べてたりして。それでも、体重は100kgちょっとくらいでした。

 ただ、とにかく食って、食って、身体は大きくなったけど、もともとタッパ(身長)がないでしょ。草津さんはプロレスラーになってからもさらに身体が大きくなったそうで、全盛時のプロフィールには192cm・118kgとありました。僕なんかとは比べものになりませんでしたよ」

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