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SVリーグの大河正明チェアマンが、川淵三郎の参謀を経て実感したプロ化の神髄 「ハードルが高いんだなと思っていました」 (2ページ目)

  • 小宮良之●取材・文 text by Yoshiyuki Komiya

【次々と新たなキャリアに挑む理由】

――大河さんは52歳で三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)を退職し、プロスポーツビジネスの世界に打って出て、大きな成功を収めています。Jリーグの改革に着手し、Bリーグで辣腕をふるい、SVリーグを立ち上げと、そのエネルギッシュな活動の衝動はどこにあるんでしょうか?

「30歳の時、夜中に胸が痛くなり、冷や汗をかいて手足が冷たくなるほどになって。30分くらいで治ったので、翌朝ゴルフに行ったんですが、病院に行っても原因がわからず......。その後も何度か同じことがあったんですけど、(1992年の)バルセロナ五輪の開会式をテレビで見ようと思ったら、耐えられない痛さで初めて救急車を呼びました。

 あらためて精密検査を受けたら『冠動脈スパズム』で、明け方など静かな時にけいれんを起こす症状でした。痛みで大事な会議に出られないことが続き、『病気をする部下はいらない』という時代でしたから、忸怩(じくじ)たる思いを抱えていましたね。

 症状は2015年で治まって、45歳を最後に再発していないんですが、不完全燃焼だったんです。50歳を過ぎて、この先のキャリアがなんとなく見えてきて。やり残したことがある気がして、1995年から97年まで2年間、出向したJリーグから『一緒にやろう』と何度か誘ってもらっていたので、お世話になることにしました」

――プロスポーツ各界で瞠目(どうもく)すべき成功を収めていますね。

「スポーツは好きでしたからね。Jリーグに出向した際、『こんなに人を感動させられる仕事はない』って思いました。そのなかで、選手は金銭的に恵まれているのか、働く条件はどうか、といったことを考えるようになって。アメリカやヨーロッパのように、日本でもスポーツがもっとビジネスになるはずだと思い、そこに関われたら、と思ったのがきっかけですね」

――マネジメントにおいては、銀行員の経験がどんなアドバンテージになりましたか?

「私は企画部で5年ほど働いたことがあるんですが、そこでの組織づくりは役に立ちましたね。銀行では、財務諸表、法律、税務を身につけていくんですが、組織を立ち上げるには企画力が必要です。日本のスポーツ界で何ができて、できていないかを見直した時、『ガバナンスが弱い』と思いました。逆に言えば、そこを改善できたら大きな産業になるだろうと」

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