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【ハイキュー‼×SVリーグ】大阪マーヴェラス宮部愛芽世が追いかけ続ける姉・藍梨の背中 白鳥沢学園1年生に重ねる高校時代の葛藤 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

「中学で基本を教わりました。同級生は7人が入ったんですが、私ひとりだけが下手すぎて別メニューでしたね。ディフェンスが持ち味のチームだったこともあって、まずは1時間、自分の真上にボール上げて片手で突いたり、といったことの繰り返し。そのあと、チームはパス、レシーブ、スパイク、6人練習になるんですが、私はずっと基礎練習をしていました」

 彼女はそう言って、小さく笑う。

「小学校は幼なじみの友達といるのが楽しい、という感じでやっていたので、痛い目を見ました(笑)。対人パス(ペッパー)もろくにできなかったですし。技術にフォーカスすると、自分は何もできないんだなって。『とにかく追いつかないといけない』と必死でした」

 宮部は中学3年間の鍛錬で急成長。金蘭会高校では日本代表登録メンバーに選ばれ、東海大学時代には世界選手権を経験するなど、一気に駆け抜けた。

「もし私の身長が大きくて、中学時代にスパイクをバンバン打っていたら、今の私はないですね。監督に『今はそれに値しない』と、バレーの基礎を教えてもらったからです。つきっきりで指導していただいて、本当に感謝です」

 中学時代の福岡遠征を、彼女は今も覚えている。

「なんで今のセット負けたと思う?」

 監督の何気ない問いかけに、彼女は答えた。

「自分の調子が悪かったからです」
 
 監督が怒髪天をついた。

「そんなことを言うなら、チームスポーツをする資格がない」

 そう言われ、福岡に置き去りにされた。新幹線でひとり、チームとは別に大阪に帰ることになった......。

「たとえ勝っても、自分の調子がよかったから勝つわけではないんですよね。バレーはチームスポーツだから、自分の出来によって勝った、負けたというのは"おごり"。そういう教えだったんだと思います」

 今も、チームプレー精神は彼女の土台にある。一方で、自分のバレーを革新させることも怠っていない。

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