【ハイキュー‼×SVリーグ】大阪マーヴェラス成瀬ももかは月島蛍の「75点のリード・ブロック」に共感 大事にする「1点の重み」
大阪マーヴェラス 成瀬ももか
(連載40:大阪マーヴェラス宮部愛芽世が追いかけ続ける姉・藍梨の背中 白鳥沢学園1年生に重ねる高校時代の葛藤>>)
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「忍耐力はあるほうというか......すぐにはできないタイプだったんです。ゲーム感覚で競ってやる練習も、最初に終わったことがなくて(笑)。できている人を見て、それを盗んでから自分のものにしていく。不器用だったからこそ、身につけられたものもあるかもしれません」
大阪マーヴェラスのミドルブロッカー、成瀬ももか(20歳)は、自らのバレーボール人生をそう分析した。
「献身性」
言葉にすると陳腐だが、それに身を捧げる実直さが彼女を成長させた。
東京都東村山市で少女時代を過ごした成瀬は、「母がママさんバレーをしていた」ことがバレーの原点にある。当初は「練習場に連れて行かれても、あまり興味はなかった」という。バレーを始めてからも最初は腕が痛く、疲れ果てていた。「小学校のチームの先生が優しくて。もし怒鳴る方だったらやめていたかも」と振り返る。
「当時から身長は大きく、スパイクを打つと点が取れたり、できなかったことが試合でできたり。それが楽しくて続けました」
成瀬はそう言うが、中学に進学する頃にはバレーに目覚めていた。
「『バレーを続けるなら強いところで』と思いました。お母さんも春高バレーに出ていたので、"お母さんに勝ちたい"という思いもあって。春高に行くために(中高一貫の)八王子実践中学に進むことを決めました。朝6時半に家を出て、自転車で地元の駅まで行って。通学には1時間半以上かかりましたが、苦ではなかったですね。今思えば、元気だったなと思います」
彼女は相好を崩した。
八王子実践では高校卒業までの6年間、ほぼ同じメンバーだった。高校から新しくバレー部に入ったのは2人だけ。その2人も中学時代に練習試合で戦っていたこともあり、自然と連係は高まって、"1点の重み"を共有した。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。