【ハイキュー‼×SVリーグ】ヴォレアス北海道の田城貴之は北信介の信条とドンピシャ「自分を裏切っていなければ、心は折れない」
『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載(27)
ヴォレアス北海道 田城貴之
(連載26:ヴォレアス北海道の古賀健太が『ハイキュー‼』を読んで思い出す高校時代 春高バレー決勝で感じた「バレーの神様」>>)
「バレーボールを突き詰めたい、という気持ちでずっとやってきました。ここまでやって通用しないならあきらめられる、突き詰めないでやめるのはあきらめがつかない、といった感じで。それで気づいたら、ここまでやっていた感じですね」
ヴォレアス北海道の田城貴之(32歳)は、そう言って顔をくしゃくしゃにして笑った。俊敏性や跳躍力が必要なバレーボールにおいて、32歳で現役を続けるのは簡単ではない。節制や鍛錬が欠かせないが、彼の体力数値は20代前半の選手にも引けを取らないという。
ミドルブロッカーとしては、ブロックが一番好き。相手が点を取りにきたところのカウンター。"やってやったぞ"と肌が粟立つ。
「いつやめても後悔はないと思えるほどやってきたし、今もそう生きています」
田城がバレーを始めたのは小学3年の時だった。高校野球に憧れていたが、地元・北海道の小学校には野球の少年団がなく、友人から誘われたバレー部に入る。この選択が人生を決定づけた。
「父は高校まで野球をしていましたが、社会人バレーもやっていて、母も青森で社会人バレーの選手でした。だからふたりは、『バレーもいいんじゃない?』って軽い感じでしたね。最初はアンダーパスで腕に紫の斑点できましたが、気にならなかったです(笑)。ゲームに参加するようになってからは、『もっとできるようになったら楽しくなる』と練習に熱が入りました」
勝ちにこだわるチームで、全国まで勝ち抜いた。
「ただ、勝つことに喜びを感じるよりも、できないことが悔しい、『負けっぱなしは嫌だ』という子どもでした」
小学校ではレフトからのアタックやBクイックに取り組んだが、中学では「ミドル(ブロッカー)をやってみるか?」と聞かれ、受け入れた。「このポジションがやりたい」という以上に、「与えられたポジションや役割を全うするのが大事」と思ったという。その頃から人間としての"骨格"はできていた。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。