女子バレー・デンソー麻野七奈未は日本代表の弟・堅斗の背中を追いかけて「石川祐希・真佑兄妹のような存在になれたら」 (2ページ目)
――それでも、高穂中学でバレーボールを続けたのはどうして?
「もうバレーボールはしない、って決めていたんですけどね。でも、その中学にずっと兄がお世話になっていた先生がいて、自動的にバレーボール部に入る流れになっていました。とはいえ、周りは初心者ばかりで、私も経験者とはいえ、プレーのレベルが高いわけではない。県大会に出るようなチームではなくて、私自身もそれほど熱が入るわけでもないまま、過ごしていました」
――そこから大阪の名門、金蘭会高校に進学します。
「なぜかわからないけれど、『(東京の下北沢)成徳高校に行きたい』なんて考えていたんですよ。その思いはいつの間にか消えていましたが、県選抜の合宿に(金蘭会高校の)池条義則先生がいらしていて、学校にも連絡があって、何度か練習に足を運ばせてもらって、金蘭会高校に進むことを決めました。
当時の先輩方には、アンダーエイジカテゴリー日本代表に選ばれた選手がたくさんいて、ただただ『すごい』というか、有名人を見るような感覚でしたね」
【久しぶりに生で見た弟のプレーの変化】
――高校でいえば、弟の堅斗選手は京都の東山高校に進みました。姉弟そろって名門校でプレーすることになったわけですね。小さい頃はどんな姉弟でしたか?
「もう小さいころは仲が悪くて、ケンカばかりしていました(笑)」
早稲田大で活躍する弟・堅斗 photo by 日刊スポーツ/アフロこの記事に関連する写真を見る
――どんなケンカを?
「たいだいは私からふっかけるんです。たとえば、何かを頼んでも、それをやってくれていなかったら、『なんでしないの!?』って怒って。ベランダに追い出したこともありました(笑)」
――お互いに年齢を重ねた今はいかがでしょうか?
「距離が離れた分、よく話すようになったと思います。今年の正月に家族で集まったときは、甥っ子や姪っ子と一緒に遊ぶなかで会話したり、という感じでした」
――普段から、そんなに会話することもない?
「堅斗からの連絡は、ほとんどありません。2022年にそろって日本代表に登録されたときも、堅斗からは何も連絡がなかったんですよ!? 私の誕生日くらいですね。『おめでとう』ってLINEがあるのは。私からも昨年の全日本インカレで優勝したときには『おめでとう』と伝えました」
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