男子バレー日本代表・高橋慶帆が語るシニア代表で「ガチファン」だった柳田将洋と過ごした時間 (4ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

【"ガチファン"だった柳田からのアドバイス】

――高橋選手はもともと、柳田選手の大ファンだったそうですが、そんな選手と一緒に練習や試合をするのはどういう感覚でしたか?

高橋 中学、高校生の時は、マサさん(柳田の愛称)の"ガチファン"でしたからね(笑)。ポスターを貼ったり、シューズもマサさんモデルのものを履いたり、フォームもマネしたり......。だから、代表に選んでいただいただけでも嬉しかったのに、同じチームでプレーできることになるなんて、考えただけでも嬉しくて舞い上がってしまうような気持ちでした。

 それは一緒にプレーするようになってからも変わらなかったですし、より尊敬の度合いが深まっていきました。コミュニケーションも取りながら、その中で学べること、吸収できることは何だろうと考えていましたね。

――ちなみに、憧れの選手であることは柳田選手本人に伝えたんですか?

高橋 言いましたね。「あ、そうなんだ」と、さらっとした反応でした(笑)。そのことについて話し込むのも変ですし、それでよかったのかなと。

――柳田選手からのアドバイスで覚えていることは?

高橋 最も印象的だったのは、サーブのトスについてですね。海外遠征の時、僕のサーブが全然入らなくて。精度を上げるために試行錯誤してたんですけど、なかなか改善しませんでした。その時にマサさんが、僕の特徴を理解しながらトスについてアドバイスをくれて、それでアジア大会に向けてよくなっていったので本当に助かりました。マサさんは僕だけじゃなくて、チーム全員にさりげなく気を遣っていた。本当にすごい方です。

 ただ自分のサーブに関しては、アジア大会も最初はよかったんですけど、疲労が溜まっていくにつれて、特に終盤の中国戦からは効果率が一気に落ちました。そこは課題として残ったので改善していきたいです。

――3位決定戦を勝って大会が終わった後、柳田選手とハグをしながら泣いていましたね。その時はどんな心情だったんですか?

高橋 準決勝で負けた次の日の試合で勝ち切れた、達成感のようなものもあったと思います。金メダルには届きませんでしたが、合宿から頑張ってきたメンバーと一緒にメダルを日本に持って帰れることにホッとしたという気持ちも大きかったですし、さまざまな感情が入り混じっていました。

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【プロフィール】
◆高橋慶帆(たかはし・けいはん)

2003年10月13日、千葉県生まれ。身長194cmのオポジット。イラン人の父と日本人の母を持つ。小学2年生から始めたサッカーを怪我の影響でやめ、中学2年生の途中からバレー部に入部。習志野高時代にはエースとして春高バレーに3年連続出場し、3年時にはベスト16に入った。法政大も進学し、2022年はU20代表メンバー入り。2023年にはシニア代表にも選出され、杭州アジア大会の銅メダル獲得に貢献した。

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プロフィール

  • 中西美雁

    中西美雁 (なかにし・みかり)

    名古屋大学大学院法学研究科修了後、フリーの編集ライターに。1997年よりバレーボールの取材活動を開始し、専門誌やスポーツ誌に寄稿。現在はweb Sportiva、バレーボールマガジンなどで執筆活動を行なっている。『バレーボールスピリット』(そしえて)、『バレーボールダイジェスト』(日本スポーツ企画出版)、『球萌え。』(マガジンハウス)、『全日本女子バレーコンプリートガイド』(JTBパブリッシング)などを企画編集。スポルティーバで西田有志の連載を担当

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