女子バレーのユース日本代表で石川真佑らと戦った野中瑠衣 夢のA代表入りに「え、私でいいの?」 (4ページ目)

  • 坂口功将●取材・文 text & photo by Sakaguchi Kosuke

【日本代表に選ばれて「え、私でいいんですか?」】

――そして昨年夏、シニアの日本代表に呼ばれました。

「(日立Astemoの東京の練習拠点である)味の素ナショナルトレーニングセンターでバレーをするのが久しぶりでした。初めは、アジア選手権に向けた選考合宿のようなものがあって。代表に呼ばれた時は私自身が驚きましたが、すでに代表メンバーに登録されている選手もいたので、『とにかく頑張ろう』と思いました。

 後日、日立Astemoの会議室に(長内)美和子さんと(オクム大庭冬美)ハウィさんと一緒に呼ばれて、中谷宏大監督から代表メンバーに選ばれたことを告げられました。ふたりはすでに(シニア代表での)経験もあったし、『はい』とうなずいていましたけど、私は『え、私でいいんですか?』って(笑)。でも、ふたりとも『当たり前じゃん』『そりゃそうだよ』と微笑んでくれました。本当にありがたい機会なので、たくさんのことを勉強して、吸収しようと考えていました」

――ずっと夢だった、シニアの日本代表メンバーに入った時の気持ちは?

「アンダーエイジカテゴリーと違って、着用するユニフォームがシニアの、いわゆるA代表のデザイン。『これを私が着るんだ』と不思議な感覚になりましたね」

――そこで学べたことは?

「試合にも『二枚替え(セッターとその対角のアタッカーを同時に交代させる)』で出させていただきましたし、練習からでもさまざまなことを学べました。周りの選手やスタッフの方々も、少し練習しただけで私の癖を見抜いて、『こうしたほうがいい』とアドバイスをいただけた。そんなすごさを感じながら、とにかく私は思いきりやるだけでした」

――シニアも経験されて、今はどのように感じていますか?

「近づいたからこそ、私に足りないことがたくさん見えました。これまではイメージしかできなかった、そのステージに立っている選手のすごさを実感できて、リーグで対戦している時もプレーが違って見えた。そこで、『まだ私はこんなにできていないんだ』って。

 ですが、憧れていることに変わりはありません。たとえ笑われようが、無理だろうと思われたとしても、私にとって日本代表はこれからも目指す場所です」

(後編:野中瑠衣の高校時代は「反抗的だった」 それを変えた恩師の言葉とは?>>)

【プロフィール】
野中瑠衣(のなか・るい)

2001年8月3日生まれ、秋田県出身。日立Astemoリヴァーレ所属。177cmのアウトサイドヒッター。秋田県立秋田北高から2020年に日立リヴァーレ(当時)に入団。秋田市立泉中3年時、秋田北高1年時にU-18日本代表に選出される。昨年度は追加登録で日本代表入りを果たし、第22回アジア女子選手権大会に出場した。

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