石井優希「どこをどう見てそう思われるんですか?」初めて中田久美監督に言い返した日 日本代表時の経験などバレー人生を振り返る (2ページ目)
【久光で学んだ多くのこと】
長岡とはその後、久光でチームメイトとなる。久光には高校時代に何度も合宿に参加しており、チームの雰囲気や環境が気に入って入団を決めた。
「本当にタイミングや、メンバー、チームに恵まれていたなと。入団した時はわからなかったですけど、今になったらすごく思います」
久光で石井はどんな役割を担っていたのだろうか。
「入団翌年に中田久美前代表監督がコーチとして久光スプリングスに来られて、私が3年目のときに監督に就任されました。
戦う集団で、結果を求められるなかでメンバーも揃っていた分、結果を出さないといけないプレッシャーと常に戦いながらでした。精神的にやられる日がすごく多かったんですけど、それでも結果を残すことによって、そのつらさが報われるというのを繰り返して、頑張っていました。でも、振り返ってみても肉体的にも精神的にもやっぱり厳しかったですね」
厳しさにも種類があるが、石井の感じていた厳しさは具体的にこういったものだった。
「一緒に入ってパス(サーブレシーブ)するのが新鍋理沙さん(サーブレシーブが非常にうまいレフト)と座安琴希さん(リベロ)だったので、どこのチームも私を狙ってきていました」
中田監督には「優希が崩れなかったらチームは勝てる」と言われ、勝つも負けるも自分次第なのだと思うとプレッシャーもあったが、それがモチベーションにもなっていたと振り返る。
「すごく負けず嫌いでしたし、ポジションを奪われたくない気持ちが強くて、そういう欲で頑張れていたのかなと思います」
2 / 4