大林素子は中学1年の新人戦で1点もとれず。顧問の先生から「落ち込んでいるようだけど、そんな資格はない」 (3ページ目)
――マジメに練習するようになって、メキメキと成長していったのでしょうか。
「いえ、まともにできるようになるまでは数カ月、半年くらいはかかりましたかね。気持ちを切り替えて練習しても、最初はまったくできなくて、しんどいから『嫌だな。やっぱり休もうかな』となりかけるわけです。でもそこで、『ここで休むと、またあの時みたいになる。あの恥ずかしい思いをすることになる』と思いとどまることができました。
私はその後の人生でも、何か大変なことがあった時に『あの、ひどかった時に比べたら』と心のなかで唱えるんですが、それはこの頃から使い始めました。つらい記憶があるからこそ、『それよりは大丈夫』と前を向ける。そのうちに、"スイッチ"も切り替えられるようにもなっていきました。たとえば、『とりあえず今日だけしっかり頑張ろう。その代わり、明日から1週間は絶対に休んでやる』といったように。
そうやって"その日"を頑張れると、休もうと思っていたはずの次の日も頑張れるんです。部活の練習も『休むのが当たり前』だったのが、休むことに罪悪感が生まれるようになりました。練習をやりだしてからは『このままやめたら、またいじめられてしまう』という危機感もありましたし、『いじめられた人を見返したい』という気持ちも強かった。その思いは、今でも私の"頑張るためのエネルギー源"になっています」
――中学1年秋のひとつの試合が、大林さんの人生を大きく変えることになったんですね。
「実は、中学時代にもうひとつ、運命を変える出来事があったんです。それは、日立や全日本女子の監督も務めた山田重雄先生に送った手紙がきっかけになりました」
(第2回:「サインがほしくて」出した手紙が招いた人生の転機。日立の練習に参加して「久美さんに睨まれました(笑)」>>)
【画像】八王子実践、全日本時代の貴重な写真も。大林素子の現役時代と今 フォトギャラリー
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