2022.08.04

大林素子は中学1年の新人戦で1点もとれず。顧問の先生から「落ち込んでいるようだけど、そんな資格はない」

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • 立松尚積●写真 photo by Tatematsu Naozumi

日本女子バレー界のレジェンド
大林素子インタビュー(1)


 日本女子バレーボール元日本代表で、現在はタレントやスポーツキャスター、日本バレーボール協会の広報委員としても活躍する大林素子さん。女子バレー界のレジェンドである大林さんに、自身のバレー人生を振り返ってもらった。

 連載の第1回は、「大きすぎていじめられた」子ども時代、バレーに本気で取り組むきっかけになった中学時代のある試合について聞いた。

女子バレーの元日本代表で、現在は解説やタレントなど幅広く活躍する大林さん女子バレーの元日本代表で、現在は解説やタレントなど幅広く活躍する大林さん この記事に関連する写真を見る ***

――大林さんがバレーを始めたきっかけは、有名なアニメ『アタックNo.1』だったそうですね。やはり幼い頃から背が高かったんですか?

「幼稚園の頃から周りの子たちより頭ひとつ大きかったですね。でも、それが原因でいつもいじめられていました。小学4年生の頃にランドセルが似合わなくなって手提げのカバンで登校するようになり、6年生で170cmに。当時から芸能界で活躍するのが夢で、『アイドルになりたい』と思っていましたが、『でかい女はアイドルになんかなれない』と言われて、死にたいと考えてしまうほど深く傷ついたことがあります。

 家のなかに閉じこもってテレビばかり見ていたんですが、そんななかで出会ったのが『アタックNo.1』でした。主人公の鮎原こずえちゃんに感情移入して、夢中になって見ましたね。父は学生時代に野球をやっていて、母は東京五輪の走り高跳びの選手を目指していました。叶わなかった夢を娘に託すという感じで、私にも何かスポーツをやらせたいと思っていたそうなんですけど、それがバレーボール選手になったきっかけです」

――クラブなどには入らなかったんですか?

「私が通っていた小学校や地域には、バレーができるクラブみたいなのはなかったんです。だから本格的に始めたのは中学に入ってバレー部に入部してからですね。バレーは人気種目で、部員が1学年で20人以上いました。

 ただ、私はどちらかというと運動が苦手なほうで、練習も嫌いでずっとサボっていました。部活の時間が近づくと、『膝が痛い気がする』『今日は頭が痛いかも』といった感じで具合が悪くなっていくような感じでした。

 当時は年功序列が厳しい時代でもあり、試合に出るのは3年生で、1、2年は球拾いとランニング、空気椅子なんかもやっていましたね。しんどくて耐えられないから休みたいんですが......練習を休むためには理由が必要なので、それを母に書いてもらって先生に渡していました。架空の塾に通っていることになっていたこともありますね(笑)」