2021.02.09

高橋みゆきのバレー人生。愛称「ニッポンの元気印」には違和感もあった

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

「ニッポンの元気印」
高橋みゆきインタビュー 前編

 ニッポンの元気印――。かつて日本代表で活躍した高橋みゆきをその愛称で覚えているファンは多いだろう。

 身長170cmの高橋はバレーボール選手としては小柄ながら、キレがいいスパイクで得点を重ね、守備にも定評があった。日本は2000年シドニー五輪の出場権を逃すも、高橋はそこから大きく成長し、アテネ五輪、北京五輪では中心選手としてチームを引っ張った。

 常に明るくチームを盛り上げていたイメージがあるが、その中で感じていたオリンピック出場への大きなプレッシャー、共に戦っていたチームメイトの印象などを語った。

2000年代に女子バレー日本代表で活躍した高橋 photo by Nakanishi Mikari――まずは、バレーボールを始めたきっかけから聞かせてください。

「父がスポーツ少年団の監督をやっていて、兄もその少年団に入ったので、気がついたら自然とバレーボールをやっていました。2人の弟たちもそう。その後、中学では全中(全日本中学校バレーボール選手権大会)に、高校(山形市立商業)ではインターハイや春高バレーにも出ました。春高の結果(1995年、1996年)は2回戦でしたかね」

――高校を卒業して1997年にNECレッドロケッツに入団しますが、どういった経緯があったんですか?

「各高校のバレーボール部が、夏休みにいろんな企業の練習に参加する機会があって、うちの高校が行ったのがNECでした。そこで誘ってもらったんです。地元の山形県にホームがあったパイオニアレッドウィングス(2014年に廃部)にも声をかけてもらったんですけど、当時はNECが一番強かったので、どうせなら強いチームに入ろうと」

――NECでは新人賞を獲得していますね。

「新人賞を獲ったのは3年目でしたけどね(笑)。2年目はケガをしていて、運よく外国人枠がなくなって試合に出始めたのが3年目だったので、(新人賞の)権利があったんです。チームは全勝で優勝し、その年に代表として呼ばれました」