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高橋みゆきのバレー人生。愛称「ニッポンの元気印」には違和感もあった (3ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――当時に呼ばれていた"ニッポンの元気印"という愛称どおり、『常に明るく、ポジティブ』というイメージを持っていたファンも多いと思いますが。

「そのニックネームを初めて聞いた時は『別に元気じゃないし......』と思いましたよ(笑)。アテネ五輪の出場を目指している頃は、チームを盛り上げること、リズムを引き寄せることが自分の役割だと思っていましたから、そのイメージが残っている方もいるかもしれません。でも、アテネ五輪のあとの私のプレーを見た方は、『怖い』と思った方もいるんじゃないですかね。経験と共にチーム内の立場は変わりますから」

2015年に結婚し、2018年に男の子を出産した photo by Matsunaga Koki2015年に結婚し、2018年に男の子を出産した photo by Matsunaga Koki――アテネ五輪を目指す代表では、どんな立ち位置だったんですか?

「上にはオリンピック出場経験があるトモさん(吉原知子)、下にはメグカナ(栗原恵・大山加奈)がいたので、私はその中間でした。でも、上と下の"つなぎ役"という意識はなかったです。私はサーブやスパイクのレシーブなど、守備や盛り上げ役など全部をやらないといけない選手でしたし、プレーのことで頭がいっぱいでしたね。特にアテネ五輪のOQTは、前回に出場権を逃していたので、なにがなんでも獲得しないといけなかった。そのプレッシャーは本当にすさまじかったです。

 メグカナに関しては、自信がない感じで悩んでいるのかなと思った時に『あまり考えすぎなくてもいいよ。コートの中で一生懸命やればいいから』と声をかけたことはあります。でも、彼女たちはそんなに弱い選手じゃなかった。それに、トモさんやテンさんがチームをけん引してくれていましたからね」

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