2021.02.09

高橋みゆきが語る北京五輪とその後。今の目標は「持たなくていい」

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

「ニッポンの元気印」
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 2000年代の女子バレー日本代表で活躍した高橋みゆき。2度オリンピックに出場し、引退と復帰を経験したのちに、2015年に一般男性と結婚。1児の母になった。現役時代、常に日の丸を背負ってきた高橋が、キャリアの晩年に思ったこと、競技を離れた現在について明かした。

2012年に現役を引退し、1児の母になった高橋みゆき photo by Matsunaga Koki2012年に現役を引退し、1児の母になった高橋みゆき photo by Matsunaga Koki ――2004年のアテネ五輪後、NECレッドロケッツからの「海外派遣」という形でイタリアのセリエA(ヴィチェンツァ)でプレーしましたが、さらに成長するためにという考えからでしょうか。

「そうですね。かねてからイタリアでやりたい気持ちはあったんですが、チームのことも考えると、自分勝手に『行きます』とは言えなかった。でも、アテネ五輪で自分の弱さを痛感して決断しました。日本のプレー環境が悪いというわけじゃなくて、日本だと甘えが出てしまうから、新しい環境でイチからやるほうが精神的に強くなれるんじゃないかと思ったんです。心配する声もありましたが、チームの方は理解してくれて、最初は1年の予定だったところを2年に延長してもらいました」

――結果、所属チームのエースとして活躍することになります。海外リーグでプレーする際は、言葉の違いなどで苦労する選手も多くいますが、そういったことはなかったですか?

「私はとにかく楽しかったです。イタリア語は少し勉強しましたが、細かいことを伝えることはできないので、『私はこういう選手ですよ』とプレーで見せていくしかない。背は小さいけど、技術があってレシーブもできる選手ですよ、と認識してもらえるように。最初は、チームメイトも『なんだ、この小さい選手は』という感じだったのが、徐々に認めてくれて、『ここのレシーブは任せる』となっていきました。

 イタリア入りしたのが夏くらいでしたけど、冬にリーグが始まる頃には打ち解けて、いろんな言葉を教えてくれるようになりました。その時のセリエAにはいろんな国のエースが来ていて、高さやパワーもすごかった。通常のリーグでの試合が代表戦のようなイメージです。でも、そのレベルの高さにワクワクした。その時期には、もっと早くイタリアでプレーする決断をすればよかったな、と少し後悔しましたね」