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女子バレーのスパルタ神話を覆す
下北沢成徳の「自由な指導」誕生秘話 (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

成徳を常勝軍団に押し上げた小川監督 photo by Nakanishi Mikari成徳を常勝軍団に押し上げた小川監督 photo by Nakanishi Mikari 木村や大山らから、幾度となく「大好きな小川先生の、自由な指導」を聞かされてきた身としては、かなり意外な答えだった。

「私はもともと、自分でもバレーボールをしていたのですが、次第にプレーすることよりも指導することに興味を持つようになりました。中学時代から、『どんな指導が行なわれているんだろう』とワクワクしながら数多くの試合を観戦しに行ったものです。今で言うところの『観戦オタク』ですね」

 早稲田大学に進学後はバレー部に入らず、OBに紹介された下北沢成徳(当時は成徳学園)のコーチを引き受けることになった。その頃の成徳はまだ強豪校ではなく、部員はバレー経験者と未経験者が半々くらい。そこに、「誰よりも厳しく、つらい練習に耐えること。その先に勝利がある」というポリシーを持った小川がコーチとなったことで、成徳は都内でベスト32に届くくらいの成績を残すようになった。

 だが一方で、退部する選手も後を絶たなかった。3年生になった選手は、厳しく、つらい練習から逃れて「早く自由になりたい」と、とにかく引退を待ち焦がれていたという。

「『話があります』と言われると、『あ、退部だな』と。それくらい多かったですね」

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