女子バレーのスパルタ神話を覆す
下北沢成徳の「自由な指導」誕生秘話 (3ページ目)
そんな小川監督の、指導に対しての考えが変わったのには2つのきっかけがあった。
コーチを経て正式に監督に就任した当初、成徳はスカウトを行なっていなかった。通常の試験を受けて入学し、入部を希望した生徒のみで構成されていたが、やがて他の強豪校のように有望選手に声をかけて入学・入部を働きかけるようになる。しかし程なくして、ある強豪中学の指導者に「そんな厳しい練習をさせる監督のところには、うちの生徒はやらない」と言われたという。
「正直、反発もありましたね。だって、その中学の先生も相当厳しい監督だったんですよ。なのに、そこまで言われるということは、私の指導はよっぽどなのかなと思いまして。少し頭を冷やして、指導方針を見直すことにしました」
また、スカウトを始めたことで気づいた「他校との差」も指導の変化に影響した。早くからスカウトを行なっていた八王子実践や共栄学園など、都内の強豪校はみなスパルタだった。後発の成徳がいくら有望選手の獲得に力を入れても、どうしても一歩及ばない。
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