錦織圭と出会って26年 IMGアカデミーの同期・喜多文明は「当時はまったく負ける気がしなかった」 (3ページ目)
【渡米1年目は強いと思わなかった】
この時のワールドジュニア世界選手権で、日本は準優勝の好結果を残した。その数カ月後、日本代表の中核を担った錦織と喜多さんは、アメリカへと渡る。ソニー・アメリカ会長などを歴任した盛田正明氏が立ち上げた『盛田正明テニス・ファンド』の支援を得て、フロリダ州のIMGアカデミーに留学することになったからだ。
錦織、喜多さん、そして富田玄輝さんを加えた3名での旅立ち。喜多さんにとっては小学6年生時以来のIMGアカデミーであり、自力でつかみ取ったプロへの順路でもあった。
「当時の僕は、日本だったら同期で一番強いという自覚や自負はありました。13歳の時には、全国大会の16歳以下の部に出ていたくらいだったんです。
『トップ選手になるには、アメリカに行ったほうが早いな』と思っていたし、小さい頃からアメリカやヨーロッパ遠征に行って、レベルの高さも経験してきました。そう考えると、海外に行くのは必然だった。あまり疑問も持たずに、向こうに行ったんです」
「それが運の尽きでした」と、喜多さんはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
IMGアカデミーでの練習の厳しさは「想像を絶していた」と、喜多さんは屈託なく打ち明ける。アカデミーの周辺には、娯楽施設などほとんどない。テニス漬けの毎日のなかで、苦しくても逃げ場がない。
そんな日々を1年ほど繰り返した頃から、喜多さんは錦織との差を感じ始めたという。
「渡米の1年目は、まだそこまであいつが強いとは思わなかったんです。でも2年目くらいから、すごいなって思った気がしますね。同じように練習しているはずなのに、圭は結果が出始める。その頃から、僕はモチベーションが下がっちゃいました」
淡々と当時を回想する喜多さんに尋ねてみた。今、指導者となった喜多さんから見て、なぜあの頃の錦織圭は勝てるようになっていったのかと。
真摯にうなずく喜多さんは、「まあ、センスとか言ってしまうとつまらないので......」と前置きし、言葉を紡ぎ始めた。
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