錦織圭が5度目の五輪へ 初出場から16年...次代を担う後進は育っているのか (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

【日本人テニス選手にとって五輪は近くなった】

 ロンドン大会開催の2012年、錦織は全豪オープンでベスト8の好発進を切る。ランキングも3月時点で当時のキャリア最高位の16位へ上昇。そのような錦織の活躍に刺激を受けたのが、同時代を生きる日本の選手たちだ。

 加えてオリンピック出場が、添田と伊藤にとって明確な目標となる。2012年シーズンを迎えた時点で、添田は120位、伊藤は122位。そこからふたり揃ってランキングを駆け上がり、夏の時点で伊藤は65位、添田は54位に達した。

 なお、ロンドンオリンピックでは、錦織はベスト8進出。添田と組んだダブルスでは、初戦でロジャー・フェデラー/スタン・ワウリンカと対戦し、7-6、4-6、4-6で惜敗した。

 その4年後の2016年リオデジャネイロオリンピックでも、錦織に加えて杉田祐一、そしてダニエル太郎が出場メンバーに名を連ねた。錦織しかいなかった北京大会から8年が経ち、常時3、4名の日本男子選手がグランドスラム本戦に出るのが普通の時代になる。錦織自身は世界7位でリオ大会を迎えていた。

 メダルを視野に挑んだ3度目のオリンピックでは、準決勝でアンディ・マリー(イギリス)に敗れるも、3位決定戦ではラファエル・ナダル(スペイン)にフルセットで勝利。テニス競技として、96年ぶりのメダルを日本にもたらした。なお、杉田は初戦を突破し2回戦へ。ダニエル太郎は3回戦まで勝ち進んでいる。

 本来ならその4年後、2020年に開催されるはずだった東京大会は、世界を襲った新型コロナウィルス感染拡大のため1年延期されての開催となった。日本代表に名を連ねたのは、リオ大会から連続出場の錦織、杉田、ダニエル。さらに日本のエース格に成長した西岡良仁、そしてダブルスではマクラクラン勉が新たに加わった。

 当時の錦織は、ケガやコロナ感染による戦列離脱から復帰して、まだ1年未満の時期。ランキングは69位に落ちていたため、初戦で7位のアンドレイ・ルブレフ(ロシア)と当たる厳しいドローとなった。それでも、戦い慣れた有明のテニスコートが彼に力を与えたのか、ルブレフに快勝すると、その後もふたつの白星を連ねベスト8入りを果たした。

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