土居美咲が語る、引退ラストゲームに訪れた幸運「これ以上ない、本当に最後のご褒美でした」 (3ページ目)
トレーニング面や、サーブの改良にも時間をかけて取り組んだ。だけど......取り組んでいたけど、あんまり改善が見られない。なかなか厳しいなっていうのはわかった状態で遠征に行ってみて、それで決めようという感じでした」
── その時、「これで終わるんだな」という寂しさはありましたか?
「どうだったかなぁ。もちろんあったとは思うんですけど、その時につらかったのは、自分のテニスの向上に時間を注げないこと。要は、練習がままならない。試合でうまくいかなかったら、そこを改善したいのに、その練習ができない。
今まではテニスをしていて、もちろん結果も大切ですけど、どれだけうまくなっているかとか、新たな技を覚えたり、自分が成長していく過程が好きでやっていたんだと思うんです。それが出来ないのが、かなりつらくて」
── 最後の大会を東レ・パンパシフィックオープンにしたのは、やはり日本で終えたかったから?
「まだ戦える状態でやめたいとは思っていました。ただ、引退を決意した時点でランキングもけっこう下がっていたので、自分の実力では出られない可能性も高い。それでも、東レの前のジャパンオープンも含めて、もともとは自分の実力で出ようと思っていたんです。
なので、ランキングを上げるためにギリギリまで試合に出続けようと思っていたのですが、ヨーロッパの遠征を終えた時に、それは無理だなと。遠征に行くのもきつくなっていたので、試合に出るよりも、最後の試合で最善を尽くすほうにフォーカスするしかないのかなぁと。そこにはちょっと、悔いが残っているんです。
最終的に東レの予選は実力で出たんですが、ジャパンオープンでは本戦ワイルドカード(主催者推薦)をいただきました。ただ私は、ワイルドカードは未来ある若手にあげるべきだと思っているんです。なので、ジャパンオープンも『ワイルドカードは若手にあげてください』と言ったんです。
ですが、日本テニス協会の方から『いや、本戦を用意するから』と言ってもらえて。引退を決めてから、自分が思っていたよりも、周りが認めてくれていたんだな、評価してくれていたんだなと感じたんです。『今までこれだけ頑張ってくれたんだから』と言ってもらえたことが、なんかうれしかったし、ありがたかったです」
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