錦織圭と父との愛情物語。
25年前の「プレゼント」と息子への願い (4ページ目)
島根に生まれ育った「地方の子」である圭が、いい環境を獲得するには、小学生の間に全国優勝しなくてはいけない。
そう思っていた父の胸中を知ってか知らずか、圭は小学6年生時に全国大会三冠を成し、盛田正明テニスファンドの奨学生として、親元を離れてアメリカに渡る。
その時、父は安堵したという。
「この土地では、いつも何かに追われている感じだった。だから圭がアメリカに行った時は、正直、ホッとしたんですよ。これで、自分の役目は果たしたな......と」
錦織圭、中学2年の夏だった。
「最初は、怖いという気持ちと、行ってみたいという思いが半々だったと思います。でも、最終的には『せっかくのチャンスなのだから、自分を試してみたい』と思い、自分の意志で決めました。親や周囲がどう考えたかというよりも、やはり自分のことですから」
渡米から4年経った、17歳の夏。ロサンゼルスでATPツアー本戦初出場を果たした錦織は、朴訥ながら強い意志の宿る口調で、はっきりとそう言った。「自分で決めた」のひと言が、一連のコメントのなかでも取り分け強く立ち上がる。
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