2015年総括。クルム伊達公子はどこに向かっているのか? (2ページ目)
「5月の全仏オープンには、予選から行くことに決めました!」
集まった報道陣から問われるよりも先に、彼女は自ら宣言する。
「正直、去年からケガが続いて、自分の気持ちとは裏腹に思うように動けなくなり、気持ちを維持するのも難しくなり......。それでもどうするか考えたとき、さすがに滑液包炎(かつえきほうえん)というよくわからないケガで引退するのは、どうしても踏ん切りがつかなくて」
自分を説得するかのような軽快な口調に明るい表情で、彼女は言った。「光は見えてきた」。そう言ったのは、4月末に岐阜県で行なわれた、カンガルーカップの初戦で敗れた後だった。
見えた「光」は、すぐに進む道をクリアに照らしたわけではない。痛みやケガの再発の恐怖は、常に身体と頭に貼りついていた。それでも彼女のコートへの情熱と、テニスへの探究心は色あせることはない。3月には、従来のツアーコーチの中野陽夫氏に加え、アメリカ人のコーチをチームに迎え入れた。
「壁にぶつかっているなかで何か新しいことを......と考えたとき、新スタッフを入れてみようということになった」
新コーチとの取り組みは約1ヶ月のみであったが、なんとかして壁を乗り越えようという切実な願いが、そこにはあった。
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