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2度目の全仏V。マリア・シャラポワを影で支えた日本人の存在 (2ページ目)

  • 内田暁●文 text by Uchida Akatsuki photo by Getty Images

 いずれにしても、これらすべての要素は、シャラポワに不利に働く。彼女のスラリと伸びた足は、ハードコートではダイナミックな動きを可能にするが、滑るクレーでは本人すら持てあまし気味。

「クレーの上の私は、氷の上の牛のよう」

 彼女が自虐的に自身をそう表したのは、2007年全仏のことだった。

 そんな彼女に訪れた転換期が、2012年シーズンである。この年のシャラポワは、シュツットガルト大会を皮切りに、ローマ大会、そして全仏とクレー3大会で優勝。また、今季もシュツットガルトやマドリッドを制するなど、2012年以降はクレーで54勝4敗の驚異的な勝率を誇っている。今やクレーは間違いなく、彼女が最も成功を収めるサーフェスだ。

 もちろん、このような劇的な変化は、偶然に訪れたものではない。

「選手は、生まれながらにしてクレーコートプレイヤーになるわけではない。特に私にとっては、クレーは未知のコートだった。だから自分で、クレーでプレイする能力を獲得するしかなかったのよ」

 不得手を克服するのみならず、得意にまで転化させたのは、シャラポワのプライドと克己心の成せる技。そして彼女の変化を外部から支えた、スペシャリストの存在があった。

 それが冒頭に触れた、「ユタカ」なる人物だ。

 彼女の言う「ユタカ」とは、日本人トレーナーの中村豊氏のことである。中村はアメリカでトレーナーの資格を修得し、これまでにもIMGアカデミーや、オーストラリアテニス協会などで腕をふるってきた。シャラポワとはアカデミー当時から知る仲で、その縁もあり、彼女がコーチを含め環境を一新した2011年末に、パーソナルトレーナーに就任した。2012年の全仏優勝時、シャラポワが「私の動きを変えてくれた人」として、再三、名前を挙げてきた人物でもある。

 実は昨年末のシャラポワは、その2年前と極めて似た状況にいた。再び肩を痛め、2011年8月を最後に、ツアーを離れることを余儀なくされる。それまでのコーチと別れ、新たな指導者を探していた時でもあった。「昨年の10月には、コーチもいないまま、肩の痛みの解決策を求めてヨーロッパにいた」。

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