「ラグビー界の中田英寿」岩渕健輔は誰よりも世界を見ていた セカンドキャリアも輝かしい文武両道 (3ページ目)
【33歳の若さで引退するも...】
ただしその時期、日本代表としては苦しんでいたように感じられる。1999年のラグビーワールドカップのスコッドに選ばれるも、平尾監督は本番でキックの正確性とタックル力に長けた廣瀬佳司を重用。残念ながら岩渕には1試合も出番が回ってこず、チームも予選プール3連敗を喫して大会を終えた。
さらに2002年10月に行なわれた韓国・釜山でのアジア大会(7人制ラグビー)で、岩渕は左ひざを負傷してしまう。多くの代表メンバーがシーズン中ということで参加を辞退するなか、岩渕は「日本代表の矜持を守らなければいけない」と強行出場。それが結果的に岩渕のラグビー人生を大きく変えることになった。
韓国との決勝戦で前十字靱帯・内側側副靱帯・半月板の損傷という大ケガを負い、長期の離脱を余儀なくされる。懸命なリハビリで驚異的な回復を見せるも、2003年のワールドカップ出場は叶わなかった。
2004年、岩渕はサラセンズが提携していた福岡サニックスに選手兼コーチとして移籍。その後、2006年に当時フランス2部のコロミエにも挑戦し、2007年にはセコムの選手兼コーチとして奮闘するも、2007年のワールドカップ出場も届かなかった。
そして2008年、7人制日本代表の選手兼コーチを務めたのち、選手としてのキャリアにピリオド。静かにブーツを脱いだ。
しかし、ピッチから離れても、岩渕は歩みを止めることはなかった。
2009年から日本協会の若手育成プログラム担当になると、2012年から日本代表のGM(ゼネラルマネージャー)に就任。エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)を支えて2015年ワールドカップの歴史的3勝を成し遂げ、さらに翌年のリオ五輪では男子7人制日本代表をサポートしてベスト4進出にも貢献した。
2018年には男子7人制日本代表HCや男女7人制総監督などを歴任し、2019年から日本協会の専務理事に就任。2021年の東京オリンピックでは男子7人制日本代表の指揮官も兼任した。
岩渕は33歳という若さでブーツを脱いだ。しかし、世界のラグビー関係者から「ケニー」の愛称で知られる男は、その後も日本ラグビーが世界と互角に戦うために尽力を続けている。
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。
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