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プレースキック時の暗黙のマナーを例外化した男・今泉清 伝説の1990年 早明戦では「光の道が見えた」 (4ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【日本代表はわずか8キャップ】

 日本ラグビー人気に大きく貢献した今泉は、2000年度の日本選手権後にスパイクを脱いだ。その後は早稲田大やサントリーフーズのコーチを歴任し、現在はラグビーの指導だけでなく、その経験を活かしてビジネス向けの講演でも活躍している。

 日本代表の通算キャップ数は、わずか8──。ファンを魅了した予測不能なプレースタイルが、日本代表に定着できなかった要因になったのかもしれない。

 1995年に世界のラグビーはオープン化(プロ化)に舵を切るが、アマチュア主義だった日本ラグビー界において、自由奔放な今泉はそれを窮屈に感じていたかもしれない。もう10年......いや5年後に生まれていたら、また異なったラグビー人生を送っていたのではないだろうか。

 そう思わせるほど、強烈な輝きを放ったスター選手だった。

著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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