プレースキック時の暗黙のマナーを例外化した男・今泉清 伝説の1990年 早明戦では「光の道が見えた」 (2ページ目)
【語り継がれる1987年・雪の早明戦】
早稲田大ラグビー部に入部した当初もFLだった。しかし、菅平高原で実施された夏合宿の練習前にゴールキックを蹴っていると、早稲田大を率いていた木本建治監督の目に止まった。
木本監督はその正確なキックに才能を感じ取り、今泉をWTB/FBにコンバートした。
「入部する前年度、早稲田大はシナリ・ラトゥさんのいた大東文化大に敗れて大学日本一を逃したのですが、BKに外でボールをキープできる選手がほしいということで、僕とNo.8だった藤掛三男をコンバートしたようです」(今泉)
WTB今泉は、CTB藤掛、SH堀越正巳と「1年生トリオ」として躍動。アカクロデビューとなった筑波大戦で勝利に貢献すると、その勢いは試合ごとに加速していった。関東大学対抗戦、大学選手権、そして日本選手権では東芝府中(現・東芝ブレイブルーパス東京)を下して日本一に輝く。
ちなみにこの年の早稲田大の日本一を最後に、大学勢は日本選手権で優勝していない。そして今泉は在学4年間で、対抗戦優勝2回、大学選手権優勝2回、日本選手権優勝1回という輝かしい成績を残した。
2024年12月、大学ラグビー伝統の一戦「早明戦」は記念すべき100回目を迎えた。その100年を超える歴史のなかで「最もインパクトのあった早明戦は?」と聞かれれば、1987年の「雪の早明戦」を挙げる人も多いだろう。
今泉は早稲田大1年生。前日深夜から降った雪はグラウンドに降り積もり、それをスタッフが懸命に除雪してキックオフを迎えた。今泉は1年生ながら存在感を示して得意のキックをふるい、2本のPGを確実に決めた。そのリードを最後まで保ち、終盤の明治大の猛攻をしのいで逃げ勝った。
1990年の早明戦も、今泉の名前を全国に知らしめた一戦だ。WTBからFBに転向した今泉は大学ラストイヤー。22回目の全勝対決となった早明戦は、東京・国立競技場に6万人の大観衆を集めた。
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