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初のプロラグビー選手・村田亙が作った「海外移籍」の道 日本人でも世界に通用することを証明した

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

語り継がれる日本ラグビーの「レガシー」たち
【第2回】村田亙
(東福岡高→専修大→東芝府中→バイヨンヌ→ヤマハ発動機)

 ラグビーの魅力に一度でもハマると、もう抜け出せない。憧れたラガーマンのプレーは、ずっと鮮明に覚えている。だから、ファンは皆、語り継ぎたくなる。

 日本ラグビーを支えてきた名プレーヤーを紹介する当連載。第1回・平尾誠二に続いて選んだ選手は「村田亙(わたる)」。日本人初のプロ選手となった男のラグビー人生を振り返る。

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村田亙/1968年1月25日生まれ、福岡県福岡市出身 photo by AFLO村田亙/1968年1月25日生まれ、福岡県福岡市出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る フランス・プロリーグ「トップ14」──。

 近年ではFB五郎丸歩(2016年〜2017年/ヤマハ発動機→トゥーロン)やFB松島幸太朗(2020年〜2022年/東京サンゴリアス→クレルモン)がプレーし、今シーズンはSH齋藤直人(東京サンゴリアス→トゥールーズ)が日本を飛び立って参戦。世界のトップラガーマンが集結するフランスの地に憧れて、みな海を渡っていった。

※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)

 サッカー界では、いまやヨーロッパへ挑戦することは当たり前の風潮となっている。しかしラグビー界ではまだ、誰もが挑戦するメジャーなステップアップになっていない。

 だが、26年ほど前にそのヨーロッパの舞台を夢見てチャレンジし、日本人ラグビー選手として初めてプロの門戸を開いた選手がいる。

 それが、1990年代を代表するSHの村田亙だ。

 村田は常に、見る者に期待感を与えてくれる選手だった。

 ライバルのSH堀越正巳(当時・神戸製鋼)がパスさばきに長けて安定感のある選手だったのに対し、村田はスピードを武器に「ボールを持ったら何かしてくれる」と思わせてくれる存在だった。

 1991年からプレーしていた日本代表では、SO岩渕健輔とハーフ団を結成。ふたりによる絶妙なコンビネーションプレーは、ラグビーファンをいつも魅了した。

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著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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