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プレースキック時の暗黙のマナーを例外化した男・今泉清 伝説の1990年 早明戦では「光の道が見えた」 (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【今泉がNZに残っていたら...】

 試合は終始、明治大が優勢。後半37分まで早稲田大は12-24とリードされていた。しかし後半38分、早稲田大キャプテンの堀越がWTBにパスを通してトライを挙げ、6点差まで追い上げる。

 そして迎えたロスタイム。ラストプレーとするべく相手の蹴ったキックオフを早稲田大はクリーンキャッチし、すかさずモールを形成して左に展開。そこで早稲田大は、合宿から練習してきた「飛ばし横」というサインプレーを実行する。

「光の道が見えた」

 SOから飛ばしパスが放たれたボールが、アウトサイドCTBを経由して手元に渡ってきた時、今泉はそう感じたという。

 今泉は快足を生かし、斜め左へ大きなストライドで加速。必死で止めようする明治大のタックラーをかわし、80メートルを独走してトライ。早稲田大はその後のゴールも決めて、24-24の同点でノーサイドを迎えた。

 大学卒業後、今泉が新たな挑戦の場として向かったのは、ラグビー強豪国ニュージーランド。早稲田大の臨時コーチとして今泉を指導し、のちにオールブラックスの指揮官となるグラハム・ヘンリーに「世界を目指しなさい」と言われたことも大きく影響を与えた。

 ラグビー留学先に選んだのはオークランド。当時のオークランド州代表は「オールブラックスの次に強い」と評されるほどの強豪チームで、今泉はその地で研鑽を積んだ。2シーズン過ごしたのちに帰国するが、そのまま今泉がニュージーランドでプレーをしていたら......と想像せずにはいられない。

「1995年のワールドカップに出場したかった」

 その夢を叶えるため、今泉はニュージーランドを離れてサントリーに入団。鳴り物入りでやってきた今泉は社会人1年生ながら強烈な存在感を放ち、1995年のワールドカップ日本代表にも選ばれることになった。

 ただ、オールブラックスに145失点を喫した歴史的大敗も含めて、今泉はリザーブに名を連ねたものの、ワールドカップのピッチに立つことは一度もできなかった。

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