堀江翔太は代えのきかない選手。2023年W杯はトンプソン式で挑戦を (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji


 堀江にとって初めてのW杯となった2011年大会はもちろん、日本代表は2015年大会まで24年間、W杯の白星から遠ざかっていた。その大きな要因のひとつと言えるのが、スクラムやラインアウトといったFWのセットプレーの弱さにあった。

 2012年、エディー・ジョーンズHCが日本代表指揮官に就任すると、さっそくFWの強化に着手した。

「セットプレーでの(マイボール)成功率が90%以上ないと、W杯では戦えない」

 その重要なセットプレーにおいて、スクラムでは先頭でコントロールする役目を担い、ラインアウトではスローワーを任されるのが、HOというポジションだ。

 また、世界トップレベルのHOには、FLのような機動力も求められる。そんな日本代表FWの要となるポジションを、ジョーンズHCは堀江に託した。

 ただ、堀江はもともとHOの選手ではなかった。小学校5年でラグビーを始める前はサッカーに興じ、中学校ではバスケットボール部にも所属するなど、昔からアスリートとして器用な選手だったのだろう。帝京大ではFLやNo.8(ナンバーエイト)としてもプレーしていた。

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