堀江翔太は代えのきかない選手。2023年W杯はトンプソン式で挑戦を (4ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji


 転機を迎えたのは大学卒業後、三洋電機(現・パナソニック)を経てニュージーランドにラグビー留学をした時。そこで世界のレベルを体感し、将来を見据えてHOのポジションに転向した。

 帰国後、三洋電機に再び加入すると、ルーキーながら目覚ましい活躍を見せて、2009年に日本代表初キャップを獲得。HOとしての経験はまだ浅かったものの、アタックの突破役としてメキメキと頭角を現していった。

 2011年W杯を3敗1分で終えると、堀江は再び海外でのプレーを選ぶ。そして2013年、レベルズ(オーストラリア)の一員となって日本人FWとして初のスーパーラグビー選手となった。

 この地で2年間、プレーした経験は大きかったようだ。現地のコーチから指導を受け、海外選手のスキルを盗んだことで、「やっとHOらしいプレーができるようになった」という。

 2016年、日本チーム「サンウルブズ」が作られ、スーパーラグビーへの参入を果たす。しかし立ち上げ当初、スケジュールの問題もあって選手が集まらない状況が懸念された。

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