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大畑大介のラグビーW杯の思い出
「あるプレーでメチャメチャ怒られた」 (4ページ目)

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

――結局、そのワールドカップ、日本のトライはウェールズ戦の大畑さんと(パティリアイ)ツイドラキの2本に終わりました。

「そうなんです。それでも1999年大会は、日本のラグビー界をあげて、勝ちに行った大会でした。そういった意味では入念に準備した大会だったと思います。あの当時、珍しく、いろんな情報を入れたり、相手をスカウティングしたり...。だから、メッチャつらかったですね。フタを開けてみたら、世界ってこんなにすごいんだって」

――どんな日本代表でしたか。

「正直、もっとイケると思っていました。ワールドカップ前は試合に勝っていましたから。ただ、表面しかみてなかったというのはあります。肌感覚として、経験値がすくなかったんです。勝手に判断していた。ワールドカップがなんぞのものか、イメージができていなかった。ワールドカップにピークを持っていく余裕はなかった。常にチームはピーク、ピークで、チャレンジしながらのワールドカップだったんです。ずっと一生懸命やりつづけた結果、わかったんです。世界には高みがもっとあるんだなって。まさに、経験値のなさでした」

――海外チームとの差を一番感じた部分は。

「経験です。余裕です。相手チームには、すべてに余裕を感じました。プレーしていて。相手を焦らすことができませんでした」

――平尾さんはどんな監督でしたか。

「いままで見たことのないものを、僕らに見せてくれる人でしたよね。すごい、いろんな景色を。例えば、世界とはね、ラグビーとはね、って。そこにチャレンジしていこうって。この人についていったら、いろんな景色をみせてくれるんじゃないかって」

――大きなステージにつれていく、これって名指導者の要素ですね。

「すべてにおいて、すごく説得力のある方だった。それでも、ワールドカップで勝てなかった。この人がつくりあげたチームの一員としてワールドカップに行かせてもらった。だから、勝ちたかったんです。でも、勝てなかった。悲しかった。すごく悲しかったです」

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