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日本の司令塔・田村優はラグビーで
必須の能力をサッカーで学んだ (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 それが、2011年にNECに入団すると安定感が生まれ、ルーキーながら堂々としたプレーでチームをトップリーグ3位に導く。その活躍ぶりは2012年に日本代表の指揮官に就任したエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)の目に止まり、すぐさま日本代表にも招集された。

 ジョーンズHCは田村について、「(瞬時に正しい判断できる)ビジョンがあり、スキルも高い」と評し、「10番・12番は小野晃征(サントリー)、立川理道(クボタ)、田村の3人で行く」と公言。エディー・ジャパンでポジションをがっちりと掴んだ。ただ、「控えCTB」という位置づけを最後まで変えることはできず、2015年ワールドカップでは先発1試合、途中出場1試合に終わった。

 だが、エディー・ジャパンのもとでワールドカップを経験できたことは、田村にとって大きな財産になっただろう。日本代表に招集され始めた当初、田村は「まずはCTBを経験してから、SOになれれば......」と言っていた。結果、まさしくそのとおりとなった。その背景には、日本代表の指揮官がオーストラリア人のジョーンズHCからニュージーランド人のジェイミー・ジョセフHCになったことが大きい。

 ジョーンズHCはキックをあまり使わない戦術を採用していたため、SOにパスとラン能力を強く求めた。しかし一方、ジョセフHCと攻撃面を担うアシスタントコーチの元ニュージーランド代表SOトニー・ブラウンは、グラウンドを広く使って相手と競るハイパントやグラバーキック(ゴロキック)なども多用する。

 コーチ陣の理想とするSO像に、田村はまさにピッタリの選手だった。田村も「(ジェイミー・ジャパンのラグビーは)やりやすい。(ブラウンコーチのスタイルは)もともと僕のスタイルだった」と語る。

 ブラウンコーチは三洋電機(現・パナソニック)に所属していた選手時代、HO(フッカー)堀江翔太やSH(スクラムハーフ)田中史朗(現キヤノン)のポテンシャルを見抜いて海外進出を後押しした。そのブラウンコーチが田村のことを、「世界で5指に入る力がある。日本で一番のSO」と評価する。

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