【ラグビー】美しき勇者「サクラセブンズ」、リオのメダルが見えた (3ページ目)

  • 松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu  齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

 ゴールも決まって、14-7とした。勝敗の帰趨(きすう)は決まった。小出の述懐。

「勇者モード、できました。スピードに乗っているところでパスがきて……。結構スペースが見えた。苦しい時間帯だった。自分のトライで日本の流れになってよかったです」
 
 もっとも日本の底力を見せたのは、その直後だった。カザフスタンが反撃する。自陣深く蹴り込まれた時、日本はほぼ全員が懸命に戻っていた。小出がセービング。冨田真紀子がこれをサポートし、山口真理恵がボールをさばき、窮地を脱した。
 
 試合後の優勝インタビュー。浅見敬子ヘッドコーチ(HC)は声を張り上げた。「とにかく、しつこさ、粘り強さを見せてくれました」と。
 
 そうなのだ。このチームの強みは、「ひたむきさ」と「素直な心」である。やっと日本女子ラグビーにスポットが向けられたのが、7人制ラグビーの五輪競技入りが決まった2009年からである。日本協会も強化に本腰を入れ始めた。
 
 浅見HC以下、このチームの母体がスタートしたのは東日本大震災が起きた2011年だった。当時、アジアでは中国、香港に大敗し、タイにも勝てなかった。体格で劣る日本の生きる道は「世界一のフィットネス(体力)」を身に付けることだった。

  体が小さくとも、パワーやスピードがなくとも、日本には考え、信じ、鍛え、挑みかかる気概があった。チーム目標は「みんなで走り勝つこと」だった。

 年間200日以上にもおよぶ合宿、遠征の繰り返し。1年目の2011年はフィットネス強化を徹底し、2年目の12年にはストレングス強化を導入した。13年、スピード・トレーニングを加え、14年からはラグビーの戦術、テクニックを磨き始めた。

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