なぜスーパーラグビーに日本人選手が続々と参戦するのか? (3ページ目)
そして2012年、田中と堀江は日本代表選出を辞退し、ニュージーランド国内のプロリーグ「ITMカップ(旧・州代表選手権)」でプレイすることを決断。かつて三洋電機(現・パナソニック)で一緒にプレイし、オタゴ代表指揮官を務めるトニー・ブラウンがふたりを誘ってくれたからだ。「彼らの夢だったスーパーラグビーでプレイする機会を手助けしようと思いましたし、その力があると信じていました」(ブラウン)。
その後、田中と堀江はITMカップを経て、晴れてスーパーラグビーチームとの契約を勝ち取った。「僕たちに続く選手が出てきてほしい」と田中が常々言っていたように、ふたりの挑戦が現在の増加要因のひとつとなっているのは間違いない。
日本代表主将であるニュージーランド出身のリーチの場合は、少し経緯が違っている。2011年のワールドカップ直後、日本代表の前指揮官であるジョン・カーワンから、「ブルーズ(ニュージーランド・カンファレンス所属)に来ないか」という誘いがあったという。だが、ニュージーランドにおけるスーパーラグビーは、「オールブラックス(ニュージーランド代表)の養成の場」という意味合いもあり、すでに日本代表の中心選手だったリーチは、当時ニュージーランド国籍(2013年8月に日本国籍を取得)だったにもかかわらず契約できなかった。
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