【バドミントン】最後まで輝きを放った"シダマツ"、それぞれの想いを胸にペアを解消 (2ページ目)
【ペア解消の理由は、パリ五輪後の意識の違い】
集大成として臨んだパリ五輪を終え、目指す先への意識に違いが生まれたからだ。五輪で燃え尽きた松山は、休養を希望し、25年1月は国際大会を欠場した。2月から話し合いの場を持ち、4月にペア解消を決断。明らかになったのは、日本での最後の戦いとなったダイハツジャパンオープンの直前、7月の記者会見だった。
「私自身は、五輪の結果に満足しているものの、どこか心残りがあり、やっぱり女子ダブルスで世界一になりたいという思いが強くあり、まだまだコートに立ち続けたいという思いを話しました」と、志田は挑戦を続ける意思を表明した。
一方、松山はパリ五輪銅メダルの結果を受けて「とても悔しく、でも、どこか納得していた自分もいて。これ以上、強くなる自分を想像することができず(ペアを)解消することを決意しました」と自身の選択によるものであることを明言。また、これまで以上に意欲を保てないと感じたことから「志田さんの、もっと高みを目指して、世界一を目指したいという目標を壊してしまうことがとても怖く、解消することが互いの未来のために必要な第一歩だと考えました」とパートナーへの配慮を含めた決断だったことを明かした。
3月の全英オープンを制した後、それぞれにインタビューをした際、志田は元々、パリ五輪を最後に引退する考えだったことを明かした。海外のライバルに勝ち切れず満足できないことや、自身のプレーを楽しむファンや仲間の存在に気付いたことが、現役続行の理由だと説明したが、その際に「まさか逆の立場になると思わなかった。分からないものだね、という話をした」と意欲の継続に苦しむ松山を気遣っていた。
女子ダブルスで世界一に挑戦し続ける志田と、一定の結果にどこかで納得していた松山は、別々の道を選ぶことになった。
ともに味わってきた苦楽と紆余曲折──。ふたりが社会人で正式にペアを組んだのは、2017年。志田が所属していた再春館製薬所に1学年下の松山が入社。当時は強豪チームの若手ペアにすぎず、経験を積みながら成長する道を描いていた。しかし翌18年に主力選手の移籍により、急きょチームのエースペアを担うことになった。
女子ダブルスは、日本が最も分厚い選手層を誇る種目だ。国内リーグでは、世界でも上位の実力を誇る日本代表の相手に敗れる悔しい日々を送った。"実力不足のエースペア"は、チームを勝たせることができず、自信を失っていた。しかしチームの先輩であり、ロンドン五輪銀メダリストの藤井瑞希、垣岩令佳らのサポートを受け、藤井からは「エースとは何か。必ず勝つ、という前に、仲間があの選手で負けたら仕方がないと思える存在」と金言を受け、実力と役割のギャップの中でもがきながら成長を続けた。
2 / 3

