12歳からマレーシアで単身スカッシュ修行 渡邉聡美が日本を飛び出して世界5位のトッププロから学んだこと (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【嫌な顔ひとつせずにすべて答えてくれた】

── そして中学校1年の夏から、マレーシアに留学されました。

「小学校から森村学園に通っていましたが、中学の途中から約5年間、スカッシュ留学のためにマレーシアで修行しました。実は小学生の頃、小林さん一家と一緒にマレーシアのペナン島へ行ったことがあって、2週間ほど過ごした経験があったから、場所は知っていたんです。

 その後、母に『ひとりになるけど、マレーシアに留学する? どうする?』と聞かれた時、特に深く考えず、『マレーシアに行けばスカッシュが強くなるよね? じゃあ行く!』という軽い気持ちで決めました」

マレーシア留学を経て日本選手権で5連覇を達成 photo by Sano Mikiマレーシア留学を経て日本選手権で5連覇を達成 photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── マレーシアではどのような生活を送っていたのですか?

「ペナン島にあるイギリスのインターナショナルスクールに通い、15時まで学校生活を送り、そして16時から19時くらいまでクラブで練習する毎日でした。コートは12面あり、世界のトップ選手や友人と好きなだけ練習できる恵まれた環境でしたね。

 ただ、日本とは学校の教育システムが違い、まだ英語も自由に話せなかったので、成績が落ちる不安もあり......。そのため、日本の高校の卒業資格も取っておこうということになり、ダブルスクーリングで通信制の高校にも通っていました」

── マレーシアでの環境が渡邉選手を大きく成長させたようですね。

「日本で競技を始めた10歳くらいの頃は、漠然と『このエリアに打とう』と考えてプレーする程度でした。ストレートやクロスなど、ショットをしっかりと認識し、頭で考えて使い分けるようになったのは、マレーシアに行ってからだと思います。

 コートに入る前の準備や考え方を最初に学んだのは、マレーシア人のロー・ウィン・ウェン選手からでした。ジュニア時代の私は感情の起伏が激しく、思ったような判定が出なかったり、相手に少しぶつかられただけで、集中力が切れてしまうことがよくありました。でも、彼女はとてもフレンドリーで話しかけやすく、12〜13歳のジュニアだった私が世界ランキング5位のトッププロに質問しても、嫌な顔ひとつせずにすべて答えてくれました。

 現役選手のなかには、自分の後輩となるジュニアに技術を教えたくない人もいるかもしれませんが、彼女はまったくそんなことはなく、本当に親身に面倒を見てくれました。競技以外のことも含め、彼女からたくさんのことを学びました」

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