12歳からマレーシアで単身スカッシュ修行 渡邉聡美が日本を飛び出して世界5位のトッププロから学んだこと
2028年ロサンゼルス五輪のメダル候補
スカッシュ・渡邉聡美インタビュー(後編)
◆渡邉聡美・前編>>「スカッシュの本場・イギリス留学で急成長」
全日本選手権は18歳から5連覇を成し遂げ、2023年の杭州アジア大会では日本スカッシュ史上初の銅メダルを獲得。2024年3月には世界ランキング4位のネレ・ギリスから勝利を奪うなど、渡邉聡美の勢いが止まらない。
日本代表のエースとなるまでの足取りを振り返ると、12歳で決断したマレーシアへの単身スカッシュ留学が自身の成長において大きかったと語る。彼女はどのような環境でスカッシュに出会い、その道をまっすぐ突き進んでいったのか。ロサンゼルス五輪で最もメダルに近い日本人スカッシュプレーヤーの歴史を紐解く。
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渡邉聡美はスカッシュとどうやって出会ったのか photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── 渡邉選手とスカッシュの出会いを教えてもらえますか?
「子どもの頃は、水泳、体操、トランポリン、バレエ、フィギュアスケートも少しかじっていました。小学校3年生の終わり頃、近所のスポーツクラブにあったスカッシュコートで友人のお母さんがやっていたこともあって、お遊び感覚で始めたんです。そして小学校4年生から北新横浜のスカッシュ専門施設『SQ-CUBE横浜』に通うようになり、本格的に競技を始めました」
── どのタイミングでスカッシュにハマったのですか?
「スカッシュを週1〜2回ほどやっていた当初は、ただ楽しいという感覚くらいで、まだバレエのほうに気持ちは向いていました。でも、SQ-CUBE横浜に練習場所を移した時、松井千夏さんや小林海咲さん・僚生さんの姉弟などトップ選手たちがプレーしているのを間近で見て、『私が知っているスカッシュとは全然違う!』と衝撃を受けたんです。
また、小林姉弟のお父さんから『運動神経がよさそうだから、本気でスカッシュをやってみない?』と声をかけてもらったことも、スカッシュにのめり込むきっかけです。その後、ジュニアアカデミーというクラスができたので、週5回くらい練習するようになりました。
メインのコーチは机伸之介さんで、全日本選手権で8度優勝している机龍之介さんのお兄さんです。そのクラスには強い選手がたくさんいて、(トップ選手の)清水孝典さんや前川宏介さんからプライベートレッスンを受けたこともありました。今振り返っても、恵まれた環境にいたと思います」
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プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。