張本智和が「チョレイ」と拓く未来。
日本は世界の卓球勢力図を変えるか (2ページ目)
さらに印象的だったのは、課題とされていたフォアハンドとフットワークを強化した張本が、ラリー戦でも著しい成長を見せたことである。準決勝で水谷にストレートで敗れた松平健太(木下グループ)は、「前に出ないと勝てないことがわかっていたけど、下がらされた」と語ったが、張本は台から下がった中陣、あるいは後陣の位置からでも、水谷と互角以上のプレーを見せたのだ。
水谷が驚異的な身体能力とボールタッチで張本の強打を返せば返すほど、"怪物"のポテンシャルがさらに引き出されていく。今大会で異次元の強さを発揮した両雄の対決は、最後までそんな展開が続いた。
一気に男子卓球界の主役となった張本が日本に帰化したのは、2014年の春である。このとき、小学5年生の少年が口にした「2020年の東京五輪で金メダルを獲りたい」という夢を、現実的に受け止めた人はほとんどいなかっただろう。
この情報に過敏に反応した中国のメディアが「どれだけ天賦の才があったとしても、(東京五輪をむかえる)16歳で世界の頂点に立つのは難しい」と報じたことは、少年が紡いでいくサクセスストーリーの小さなアクセントになるかもしれない。
「チョレイ」という雄たけびや、勝利の際の「ハリバウワー」も大きな話題に 振り返れば振り返るほど、信じられないスピードで成長を続ける張本の視線の先には、常に水谷がいた。
エリートアカデミーに所属して間もないころ、代表合宿で初めて胸を借りたときにはまったく歯が立たなかった。
「他の先輩たちとも打ち合いましたが、水谷さんだけは別格だと思いました。ポイントをとるイメージがまったく湧かなかったのは初めてでしたから」
その直後に水谷がリオ五輪でメダルを獲得すると、その存在はさらに大きくなった。1年前の全日本選手権ジュニアの部(高校2年生以下)の準々決勝で敗れ、人目もはばからずに号泣したのも、水谷が中学2年のときにジュニアの部を制していたことを強く意識していたからだ。
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