【部活やろうぜ!】Bリーグ・篠山竜青が振り返る高1のインターハイ遠征「洗濯機が壊れてほうきを持って――」 (2ページ目)
【1年時のインターハイは「オール」で洗濯】
「大変だった」北陸高校1年時を今だからこそ楽しく思い返せる Photo by KAWASAKI BRAVE THUNDERS 北陸高校の年間スケジュールは夏のインターハイ、秋の国体(現・国民スポーツ大会)、そして冬のウインターカップの主要全国大会を軸に、週末や連休には他県への遠征が組まれていた。合宿については日程的な問題と「そもそも毎日が合宿でした(笑)」ということもあり、ほぼなかったが、寮を離れた遠征先での思い出もまた、昨日のことのように思い出す。
特に1年時のインターハイで宿泊した離島の公民館では――。
――全国大会や遠征の思い出はいかがですか。
篠山 いろいろありますよ。北陸高ってなかなかホテルに泊まらなかったんですよ(笑)。旅館もまれで、ほとんどが民宿や公民館でした。仏教系の学校なので、たとえば大会の開催地近くに系列のお寺があれば、そこに泊まったりもしていました。
すぐに思い出すのは、1年時のインターハイです。島根県の離島の公民館に宿泊。島に唯一ある銭湯まで歩いて15分くらいかかるんですけど、お風呂に入ったはいいけど、帰ってくる頃にはもう汗だくみたいな。
なかでも大変だったのは、洗濯です。それこそ50人分の洗濯物を公民館にたった1台しかない2槽式洗濯機で、毎日洗い終わらせないといけなかったんです。
全学年分の洗濯物を回収するのですが、特にユニホームは試合が毎日あるわけですから絶対乾かさないといけない。それを3年生、2年生、1年生と学年順に洗濯物を洗っていくわけですが、ほぼ毎日徹夜でした。その洗濯機も数日経ったら、酷使されすぎて、脱水槽は使えるけど、洗う側が壊れてしまった。でも洗わなければいけないので、水と洗剤を壊れた洗濯槽に入れて、ほうきでかき回していましたね。
――人力、筋トレですね(笑)。
篠山 1年生が何人か一組でローテーションを組んでやっていましたが、最後は朝4時くらいまでかかっていました。オールです、オール(笑)。
それだけ時間がかかったので、ちょっと抜け出して怒られたこともありました。公民館近くに薄緑の丸っこいやつ(ガスタンク/ガスの貯蔵や供給を安定させるための球体)があって、それにみんなで登って、星を見て気分転換をしていたのですが、先生に見つかって、正座させてられたこともありましたね(笑)、大会期間中なのに。
――アハハ。でも全国大会以外の遠征があったので、全国いろんな場所に行けたのは貴重な経験だったのではないですか。
篠山 そうですね。夏は北信越インターハイ、全国インターハイがあって、秋に国体、冬はウインターカップ。それにウインターカップが終わってすぐに、僕らは1月2日ぐらいから岐阜の招待試合に出向いたり、茨城の土浦カップなどもありました。
それはそれで楽しかったですね。僕自身、移動がそんなに億劫なタイプじゃないので、ずっと車に揺られて外に出るのも好きでした。ただ50人が1台のバスでいくので、1年生は自然と補助席に座っていましたね。
――1年目を終えて、2年生、3年生になっていくなかで変化はありましたか。
篠山 それはもうだって、2年生になったら「平民」に戻れるわけですから(笑)。コート外の仕事がなくなるので、2年生以降は試合に勝つ、うまくなるといったことに集中していきます。なので、ほうきを使って洗濯するようなエピソードが一気に減りますけど。
つづく
Profile
しのやま・りゅうせい/1988年7月20日生まれ、神奈川県出身。ポイントガード。横浜市立旭中(神奈川)−北陸高(福井)−日本大−東芝(JBL)−東芝神奈川(NBL)−川崎ブレイブサンダース(Bリーグ)。身長178cm、体重75kg。左利き。北陸高時代は1年時のウインターカップにベンチ入りし、2年時から主力として活躍。3年時にはインターハイ優勝、ウインターカップ準優勝の原動力となった。卒業後、日本大を経て、2011年に川崎ブレイブサンダースの前身である東芝ブレイブサンダースに加入。以降、同チームひと筋でプレーし、来季で15年目を迎える。これまで世代別の日本代表としても活躍。2016年から2019年はトップの日本代表としてプレーし、東京五輪出場権獲得に大きく貢献した。また明るいキャラクターでオールスターゲームの代名詞的存在となるなど、多くのファンを魅了している。今季は自身初のBリーグ・フリースロー成功率リーダー(91.7%)となった。
著者プロフィール
牧野 豊 (まきの・ゆたか)
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。
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