NBA伝説の名選手:パトリック・ユーイング ニューヨーカーを熱狂させた1990年代を代表するビッグセンター (3ページ目)
【引退後はコーチとしてキャリアを築く】
ユーイングが36歳になった1999年のプレーオフ、ニックスは第8シードながら第1シードのマイアミ・ヒートを倒して勢いに乗ると、カンファレンス決勝でインディアナ・ペイサーズを4勝2敗で撃破。1994年以来のNBAファイナル進出を果たしたが、アキレス腱の痛みを抱えながらプレーしていたユーイングは、ペイサーズとの第2戦で負傷し、部分断裂の診断によって戦列からの離脱を強いられた。
NBAファイナルの相手は、デビッド・ロビンソンとティム・ダンカンのツインタワーを擁するサンアントニオ・スパーズ。ユーイングの欠場がニックスにとってのディスアドバンテージとなり、結局1勝4敗で敗退。2000年のプレーオフでは、カンファレンス準決勝でニックスの元指揮官パット・ライリーが率いるヒートを倒したものの、続く同決勝ではペイサーズに2勝4敗とNBAファイナル進出を逃した。
2000年の夏、ユーイングは4チームが絡んだ大型トレードでシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)へ移籍。フリーエージェントとなった2001年7月にオーランド・マジックと契約したが、2001−02シーズンを最後に現役引退を決断した。
「これまでで最も偉大なチームや選手たちがいた時代にプレーしてきた。ジョーダンのブルズ、オラジュワンのロケッツ、スパーズのツインタワー。彼らはいずれも伝説的なチームだ。優勝できれば最高の喜びになったかもしれないけど、それが私のキャリアを定義するものではない。私は一生懸命に努力し、最高レベルで競い、コート上ですべてを出しきった」
こう語るユーイングは現役引退後、コーチとしてのキャリアを歩み、ワシントン・ウィザーズ、ロケッツ、マジック、シャーロット・ボブキャッツ(現・ホーネッツ)でアシスタントを務めた。NBAでヘッドコーチになることは実現できなかったものの、母校ジョージタウン大の指揮官に就任。2021年にNCAAトーナメント進出を果たしたものの、5シーズンで75勝109敗という成績に終わり、2023年3月に解任された。
現在はニックスのアンバサダーを務めているが、2024年11月にはアメリカ代表のアシスタントコーチとしてFIBAアメリカップ予選に参加している。
【Profile】パトリック・ユーイング(Patrick Ewing)/1962年8月5日生まれ、ジャマイカ・キングストン出身。1985年NBAドラフト1巡目1位指名。
●NBA所属歴:ニューヨーク・ニックス(1985-86〜1999-2000)―シアトル・スーパーソニックス(2000-01)―オーランド・マジック(2001-02)
●NBAファイナル進出2回(1994、99)/オールNBAファーストチーム1回(1990)/新人王(1986)/
●五輪出場歴:1984年ロサンゼルス大会(優勝)、1992年バルセロナ大会(優勝)
*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)
著者プロフィール
青木 崇 (あおき・たかし)
1968年群馬県前橋市生まれ。1992年から月刊バスケットボールとHOOP誌の編集者を務めた後、1998年に独立して渡米。アメリカ・ミシガン州を拠点にNBA、NCAA、数々のFIBA国際大会を取材。2011年から拠点を日本に戻して活動を続け、Bリーグの試合で解説者も務めている。
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