NBA伝説の名選手:クライド・ドレクスラー ジョーダンと同ポジションでわたり合い、ついにたどり着いた王座への道のり (2ページ目)

  • 青木 崇●文 text by Aoki Takashi

【スターの地位を築くも王座に届かず】

 3年生のシーズン終了後、ドレクスラーは1983年NBAドラフトにアーリーエントリーすること(4年生になる前にエントリーすること)を決断すると、1巡目14位でポートランド・トレイルブレイザーズから指名された。

 1年目は1試合平均17.2分の出場時間で平均7.7得点だったが、2年目に17.2点、6リバウンド、5.5アシストと飛躍。3年目にはオールスターに選ばれるなど、高い身体能力を武器にしたオールラウンダーとして、ブレイザーズの中心選手になっていく。

 1986年から4年連続1回戦敗退を喫するなど、ドレクスラーはチームをプレーオフで勝たせることに苦労していたが、1990年に絶好のチャンスが巡ってくる。ダラス・マーベリックス、サンアントニオ・スパーズ、フェニックス・サンズを撃破してNBAファイナルに進出。2連覇を狙うデトロイト・ピストンズ相手に敵地での第2戦を延長の末に勝利し、ホームコート・アドバンテージを手にした。

 しかし、ブレイザーズは経験豊富なピストンズの勝負強さに屈し、ホームでまさかの3連敗。ドレクスラーは平均26.4得点、7.8リバウンド、6.2アシストと奮闘したものの、チャンピオンシップ獲得することができなかった。

「全力を尽くしたが、相手は非常にタフで、経験豊富だった。受け入れがたい結果だ」

 こう悔しがったドレクスラーとブレイザーズは、1992年に再びNBAファイナルの舞台に戻ってきた。相手はジョーダンを擁するシカゴ・ブルズ。このシーズンのMVPを争ったドレクスラーとジョーダンのマッチアップは、NBAファイナルの勝敗を分ける象徴として大きな注目を浴びた。

 第1戦はジョーダンが前半だけで6本の3ポイントショットを決めるなど、39得点を奪ってブルズが33点差で快勝。第2戦になるとドレクスラーが26得点と奮闘してブレイザーズを勝利に導くなど、第4戦を終えた時点で2勝2敗と拮抗していた。

 第5戦でドレクスラーは30得点を奪うも、ジョーダンが46得点と大爆発。13点差で敗れたブレイザーズは、後がない第6戦も第4クォーター開始時に15点をリードしながらも逆転負け。ドレクスラーは平均24.8得点と決して悪くないパフォーマンスを見せたものの、ジョーダンは平均35.8得点を記録し、試合を支配するという点で違いを見せつけられる結果となった。

「負けるのはいつでもつらい。特に最大の舞台ではね。でも、彼らを称えるしかない。我々よりも少しだけ優れたチームだった。ハードに戦ったけど、特に勝負どころでは彼らのほうがほんの少しだけ上回っていた」

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