女子バスケ・渡嘉敷来夢が悔しかった「五輪絶望」の記事。今の原動力は「銀メダリストに負けたくない」 (2ページ目)
悔しさから目を背けないことで、もっと強くなれる
――2020年12月、右膝の前十字を断裂する負傷をしたときは、どのように受け止めたのでしょうか。
「ケガをしたときに最初に頭をよぎったのは『これでオリンピックは無理だ』ということでした。ただ、皇后杯の最中だったので、『ここで負けたら終わりだ』『優勝したい』という思いもありながらチームに帯同していました。皇后杯はチームメイトの頑張りで優勝できたのですが、そのあとの(メディアの)記事には『渡嘉敷、五輪断念』とか『五輪絶望』とか出ていて、そう書かれたのが悔しくて......。自分ではオリンピックをどうしても諦めきれなくて、今すぐにオペをしなかったら後悔すると思ったので、すぐにオペをしたんです。それでリハビリを頑張って、春先には代表候補に入って首の皮一枚でオリンピックにつながっていました。
でもやっぱり、思いっきりバスケットができるわけじゃないので焦っていたし、無理をしなければ間に合わない状態でした。でも冷静に考えれば、自分はこの1年で終わる選手じゃないな、と思い直しました。ここで引退するんだったら、私はどんな形でも(代表)選考レースに突っ込んでいったと思います。でも、強化試合が始まる5月末の段階でコートに立ってプレーできる状態ではなかったので、自分から代表活動を終える決心をしました。本当に辛い決断でした」
――渡嘉敷選手をメンバーから外す発表をしたとき、ホーバスHCは「辛い決断だった」と言っていました。
「トムは自分がENEOSに入った1年目から指導してもらっているし、自分のバスケに対する熱い気持ちも知っているから『今までありがとう』と言って落とすのは辛かったと思うんですよ。でも、いつまでもコートに立てない自分がいたらチームメイトは『タク(渡嘉敷のコートネーム)さんはいつ帰ってくるの?』と迷ってしまうし、自分が『いない』と決まったほうが、早くチームが作れて団結力が高まるんじゃないかと、考え抜いての決断でした。ENEOSでチームメイトのレア(岡本彩也花)とHCの(佐藤)清美さんには電話で相談をしたんですね。そうしたら、清美さんは私の意見を尊重すると言ってくれました。
レアには泣きながら話をしたんですけど、すごく自分のことをわかっていてくれて、『タクは何でそんなに自分を酷使するんだろうと思っていた。タクは自分が決めたことを頑張りすぎるから、日本代表から離れる決意を聞いてホッとした。帰っておいで」と言ってくれたんです。それを聞いて、またダーッと泣きました。日本の女子バスケがどれだけ努力をしてきたか知っているから、みんなにはベストを尽くしてほしかった。でも自分だって頑張りたかった。だからレアの言葉に救われましたね」
――オリンピックでは日本の試合は見ていましたか?
「しっかり全試合見ました。代表活動を終えたときは、『1カ月くらい何もしたくない』という気持ちで帰ってきたんですよ。でも、1週間後にはリハビリを始めましたから、いてもたってもいられなかった感じです。日本が勝ち続けるのをしっかりと目に焼きつけることによって、『自分はもう一回強くなれる』と思ったんです。悔しいことから目を背けることはできますが、現実を受け入れたら『もっと強くてカッコいい選手になれる』『今シーズンは暴れてやる!』と思いながら試合を見ていました。自分もみんなに負けたくなかったです」
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