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世界の舞台で戦ったスラムダンク奨学生、
鍵冨太雅が描くNCAA挑戦 (4ページ目)

  • 宮地陽子●取材・文 text by Miyaji Yoko
  • photo by FIBA basketball

 鍵冨も「イタリア戦は最後で負けちゃってすごく悔しいんですけれど、自分としてもやれることはやりましたし、チームとしてもこれまでの日本代表が到達できなかったレベルまで登りつめることができたかなと思います」と、すっきりした表情で語った。

 彼がスラムダンク奨学金に応募しようと決めたのは、福岡大学附属大濠(おおほり)高校2年のときだった。ニューヨークに住んでいたときにNCAAやNBAをよく見ており、そのころから「NCAAでプレーしたい」という思いを抱いていた。実は鍵冨が大濠高校に入る直前、父親の2度目のアメリカ赴任が決まり、ともに渡米してアメリカの高校に行く選択肢もあった。

「そのまま親についてアメリカに行くかすごく迷ったんですけれど、自分が日本の強豪校でどれくらいやれるのかを試してみたかったのと、アメリカに行く前に日本一になってやろうと思って。日本の高校に行って、3年間がんばった。でも、やっぱり(NCAAに)挑戦せずにはいられないなぁと思って、高校2年のときにスラムダンク奨学金に応募しました」

 その思いが叶い、鍵冨はスラムダンク奨学金10期生に選ばれた。子どものころからの憧れ──NCAAに行くための大きなステップだ。過去の奨学生が苦労した英語の問題もない。

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