【国内バスケ】選手兼社長となった
折茂武彦が「初めて頭を下げた日」
レバンガ北海道・折茂武彦インタビュー@第3章
2010-2011シーズン開幕。レラカムイ北海道のホームゲームには、相変わらず多くの観客が訪れ、傍目にはチーム運営は順調に見えた。
しかし、選手やスタッフへの給与支払いが遅延し始める。JBL(日本バスケットボールリーグ)による監査が入ると、運営会社の累計赤字は4億7000万円であることが発覚した。結果、チーム運営はリーグ興行権をつかさどる日本バスケットボールオペレーションズ(JBO)が引き継ぎ、新たな運営会社を探すことになった。しかし、未曾有の天災――東日本大震災が発生したことも相まって、新規運営会社も撤退してしまう。もはや、チームの消滅は避けられないと思われた。
レバンガ北海道を創設した折茂武彦は選手兼オーナーとなった 当時のチーム状況を、折茂武彦(おりも・たけひこ)はこう振り返る。
「正直、移籍するほうが楽だったと思うんです。ただ僕は、『これが最後のチーム』だと思って北海道に来た。だから選択肢は、『北海道でプレー』か、『引退』か、どちらかだった。ただ、まだ引退はしたくない。プレーしたかった」
連日開かれる、チームの明日を決める会議。「どうする?」「どうしたらいい?」と繰り返されるだけで、具体的に話は進展しなかった。そのとき、口火を切ったのが、他ならぬ折茂だった
「じゃあ、僕がやる」
折茂は一般社団法人『北海道スポーツクラブ』を設立。同時に創設された新チームが、『レバンガ北海道』だった。折茂は理事長に就任し、異例の選手兼オーナーとなる。
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