真夏の祭典・鈴鹿8耐は日本人にとって「心のふるさと」8時間という絶妙な設定が最高のドラマを生み出す
「8耐」こと鈴鹿8時間耐久ロードレースは、日本の二輪ロードレースファンにとっておそらく「心のふるさと」のようなものなのではないか。8月6日に鈴鹿サーキットで決勝レースが行なわれた44回目の8耐で、そんな思いを抱きながらずっとレースを眺めていた。
今年の8耐は、MotoGP第9戦イギリスGPと同一日程の開催になった。8耐はEWC(世界耐久選手権)シリーズの一戦に組み込まれているので、ふたつの二輪ロードレース世界選手権の開催日程が被ったわけだ。つまり、このカレンダーが発表された段階で、今年の8耐に現役MotoGPライダーの参戦がないことはすでに明らかだった、ということになる。
薄暮のサーキットを走る長島哲太この記事に関連する写真を見る かつての8耐は、世界のトップライダーたちが優勝を争う、じつに賑々しいレースだった。ケニー・ロバーツ、ウェイン・レイニー、エディ・ローソン、ワイン・ガードナー、ケビン・シュワンツ、ミック・ドゥーハン、バレンティーノ・ロッシ等々......、世界グランプリの王者たちが参戦メーカーと己の名誉を賭けて真夏の鈴鹿で苛酷な8時間の戦いを繰り広げ、しかし、世界最速最強の彼らでもけっして容易に勝つことができないレース、それが鈴鹿8耐だった。
オールドファンのなかには、そんなハイレベルの戦いを毎年満喫しつつ、「8耐で優勝することは、グランプリで勝つよりもはるかに難易度が高い」と感じていた人もきっと多いのではないだろうか(少なくとも今これを書いている自分自身は、そう思ってずっとレースを愉しんできた)。
1980年代なかばのバイクブーム時代には、「コースサイドの未舗装観戦エリアは、土の部分がまったく見えないほど観客がぎゅうぎゅうに詰まっていた」と、ある日本人元グランプリライダーが当時を振り返るほど、8耐は大きな人気を誇るイベントだった。
また、別のある日本人GPライダーは、1990年代に優勝を飾った際に「GPで優勝しても新聞のベタ記事にもならないけど、8耐で優勝すると全国紙のスポーツ欄に大きく名前が載る」と話した。
あるいはたとえば、2000年代初頭にバレンティーノ・ロッシが参戦した時には、イタリアから取材陣が大挙してやってきた。
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