最高待遇をなげうってMotoGPに参戦した玉田誠。親友・加藤大治郎への想い (3ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 しかし、ここでひとつ大きな問題が現れた。全日本ロードレースのルール変更により、03年シーズンから全てのファクトリーチームは参戦を停止することになったのだ。玉田は、岐路に立たされた。このとき、まったく思いがけない方向から玉田にアプローチしてきた人物がいる。タイヤメーカー・ブリヂストンのモーターサイクルレーシングマネージャー、山田宏だ。

 山田が陣頭指揮を執るブリヂストンは、1990年代初頭にグランプリの世界へ飛び込み、125ccクラスへの挑戦を開始した。少しずつ実績を積み重ねて、ついに2002年からは最高峰クラスの参戦に打って出た。当時は、ミシュランが君臨していた時代だ。MotoGP参戦初年度の新参メーカーなど、レースの表も裏も知り尽くしたタイヤ界の大巨人にはとても歯が立つ相手ではない。チャレンジ初年度の02年は、一度も表彰台を獲得せずにシーズンを終えた。

 挑戦2年目の03年に、さらなる攻めの体勢を作ろうとした山田が目をつけたのが、全日本で活きのいい活躍を見せていた玉田だった、というわけだ。しかし、このときの山田と玉田の間には面識がなかった。山田は、知人に玉田の携帯番号を教えてもらって電話をした。電話を受けた玉田は、友人たちと食事の最中だったという。

「なんか、ブリヂストンのヤマダ、とかいう人からかかってきたんだけど......」

 そういって友人たちに断り、やや不審に思いながらも話をよく聞いてみると、来年、自分たちと一緒にMotoGPを戦わないか、という誘いだった。

「はい! もちろんです。行きます、行きます。よろしくお願いします!!」

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