加藤大治郎という天才ライダーの生きた証。その走りは決して色あせない (2ページ目)
今回に限っては、やや私的なことに少しだけ言及をさせてもらう。
いままでほとんど他言したことはないが、実は自分がMotoGPを追いかけて世界中を転戦取材し始めたのは、日本人が世界最高峰クラスのチャンピオンを獲得する歴史的な瞬間を目撃しなければならない、と考えたことが大きな理由のひとつだった。 2002年チェコGPの加藤 当時の二輪ロードレースをご存じの方々なら、きっと首肯いただけるだろう。
彼がMotoGPの世界チャンピオンになること、あるいは少なくともタイトル争いを繰り広げることは、1990年代後半の全日本ロードレースや鈴鹿8耐での活躍、そしてワイルドカード参戦した鈴鹿の日本GP250ccクラスであっさり優勝してしまう姿を目の当たりにすると、「まだ達成されていないにすぎない事実」といった程度に確実なことであるように見えた。
実際に、250ccクラスへフル参戦を開始した2000年から、加藤は当然のように毎戦優勝争いに加わった。翌01年には、1993年の250ccクラス王者、原田哲也と激戦を繰り広げ、16戦中11勝を挙げてチャンピオンを獲得した。最高峰クラスを戦うオートバイの技術規則が、2ストローク500ccから4ストローク990ccへ変更になった2002年にステップアップ。この年は大きなルール変更の過渡期ということもあって、2スト500ccと4スト990ccが混走するシーズンになった。
加藤は500ccのホンダNSR500で、最初の最高峰シーズンに臨んだ。
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