加藤大治郎という天才ライダーの生きた証。その走りは決して色あせない (5ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 第3戦のスペインGP、ヘレスサーキットは、前年のレースで加藤が非力なNSR500を駆って2位に入った場所だ。このレースウィークでは、最終コーナーに近い観客席で、加藤のバイクナンバー74を大書した手製のフラッグを高く掲げる数人のファンの姿があった。土曜の予選終了後に、その旗のもとへ行ってファンたちを探し、話を聞いた。マラガからやってきたと話す若者たちは、「こうすることで自分たちの気持ちを表したいのだ」と語った。

 第4戦フランスGPから、加藤の後輩にあたる清成龍一が、加藤の代わりに参戦することになった。加藤のチームメイトだったジベルナウは、ロッシとシーズン終盤までタイトル争いを繰り広げ、年間ランキングを2位で終えた。ロッシは数年後に刊行した自叙伝で、一章を割いて加藤について記した。

 彼の足跡を記した映像記録は、DVDとして数点のパッケージが発売された。MotoGPの公式サイトでは、彼の戦いぶりを今もオンラインで視聴できる。書籍としては、写真集が一冊、そして、ジャーナリストの富樫ヨーコ・佐藤洋美両氏の手による、国内外の関係者や選手たちの証言を集成した労作の記録集が一冊、刊行された。

 おそらくは確実に達成したであろう偉業を成し遂げないまま、26歳という若さで逝った小さな「巨人」は、その没後もいまに至るまで、世界の二輪ロードレース界に大きな影響を与え続けている。例えば、あれから17年が経過した2020年の現在、Moto3クラスでランキング首位につけている19歳の小椋藍のレザースーツには、右肩に74番のロゴが貼りこまれている。

 スポーツ史に大きな足跡を残す人物の記録として、彼の評伝はいつ書かれても決して遅すぎることはないだろう。いつの日か、加藤大治郎という人物の姿とその後世への大きな影響が、世界のどこかにいる優れた書き手によって活字の形で残されることを望みたい。

【profile】 
加藤 大治郎 Kato Daijiro 
1976年、埼玉県生まれ。2000年にロードレース世界選手権250ccクラスへフル参戦し、翌01年にシリーズチャンピオンを獲得。02年より最高峰のMotoGPクラスへステップアップした。03年、第1戦鈴鹿GPレース中の事故により亡くなった。享年26歳。

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